五郎舎のまろうど

● メールマガジン No.98(2011.10.1)

作品名「五郎舎のまろうど」
撮影・編集 Original CV  制作 FTG
作品時間 31分

 深田久弥は日本百名山に、「かつて千曲川の上流から信州峠を越えて甲州へ抜けた時、その途中から見た奇岩乱立の瑞牆山の印象が深く残っていた。おそらくその途中からの眺め、すなわち釜瀬川上流の黒森部落からの眺めが、瑞牆山の最も立派で美しい姿であろう。」と書いた。

 五郎舎(ごろうや)はまさにその黒森にあり、立派で美しい瑞牆山を背景にどっしりと建てられた山里の宿なのである。周りは畑が広がり、ここで採れた新鮮な野菜が食事を彩る。昔の懐かしい風情がそのまま残っている。

 その五郎舎にある日、数人の客人が訪れた。ウィークデイということもあって、五郎舎はその客人で貸し切った状態となった。夕食が始まり、お酒が入ってくると、宴が盛り上がってきた。そこで客人の一人が民謡を歌い始めた。
 屋根裏の太い梁がそのまま見える食堂はひとつの広い空間となっており、その空間に歌声が響き渡った。そして、そこに集う人たちの心の中にも染み渡った。あるひとつの空間、あるひとつの時間の中で、みんなで心をひとつにした貴重な体験だった。

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この世ハ酒のごとくに候 2011

● メールマガジン No.95(2011.7.1)

作品名「この世ハ酒のごとくに候 2011」
撮影 Original CV  制作 FTG
作品時間 21分

 1336年8月17日、足利尊氏が秘封のままで清水寺に納めた願文の出だしは、
 この世ハ夢のごとくに候
であった。絶頂期の尊氏が懊悩の中で願ったこととは?

 それから675年経った2011年6月4日、われら13人は秋田県能代市の喜久水酒造に集合した。メンバーは多彩で、神奈川県を中心にするもシアトルから2人参加し、最年少者は生後4ヶ月という赤ちゃんである。

 さて、ここで何が起きているかである。

 毎年6月第一週の土曜日に、喜久水酒造では所有しているトンネルの前で醸蒸多知(かむたち)祭を行う。これはお客様への感謝祭のようなものだ。
 ここで、特別大吟醸 朱金泥能代という1升瓶1本10万円のお酒を一杯ご馳走になれるのだ。まさに、
 千ドルの 一杯求めて 一千里
というわけである。

 醸蒸多知祭の後、われらは秋田地酒の伝道師こと、浅野さんのいる天洋酒店に向かった。さすが、伝道師だけあって半端ではない。ビールやワインなんて置いていない。ときどき間違ってビールを買いに来られる方がいるそうだが、その方には「この先のコンビニで買って下さい。」と言うそうだ。

 ここで利き酒を行っていただけるのだが、メンバーがメンバーだし利き酒会と称する大宴会になってしまった。これで一人も買わなかったらどうなるんだろう?

 そして、最後は米代川沿いにある「川どこべらぼう」へ向かった。秋田杉をふんだんに使った店内は落ち着くし、檜風呂もある。そして、言うまでもなく秋田地酒を飲みながらここの料理に舌鼓を打つわけだ。

 うーん、中身があまりに濃過ぎる。体力の無い人は付いていけない。

とはいえ、2年前の参加者は4人、昨年は7人、今年は13人ということでねずみ講式に増え、さて、来年の参加者は何人になるのだろう?

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米寿お祝いの旅

● メールマガジン No.85(2010.9.1)

作品名「米寿お祝いの旅」
撮影 Original CV  制作 末次進・みち子
作品時間 26分

 母の米寿お祝いの旅は天草へ行くことになった。

 台風が接近していて、強い風と小雨の降るあいにくの天気となったが、天草の下島にある通詞島では早崎瀬戸を前に、強風で天に舞うイルカを見たし、富岡城址では、咸臨丸でここを訪れた勝海舟の銅像にもめぐり合えた。

 夕方、台風が遠ざかると共に風も収まってきた。本日の宿は天草五橋の近くの藍風亭である。これまで何度かこの宿にお世話になっているが、来る度に「また来てみたい」と思わせる生き造りが出されるのである。今回は、オコゼの造りと唐揚げに舌鼓を打った。

 夕食を終えて、浜辺に出ようとすると、宿の軒まで波が打ち寄せていた。
今日は大潮なのだろう。アイデアマンの孫は花火を買ってきていたので、この波打ち際の軒下で花火を楽しむことにした。

 厚い雲に覆われて、月や星は見えない。その真っ暗な中に、一本、一本、花火が付けられた。火の粉は宙を舞い、海面に消えていく。
 母も怖いと言いながら、恐る恐る花火の端をもっている。子や孫が見守る中で、海面に浮かぶ幻想的な雰囲気の母をカメラが捉えた。

 天草の 潟に満ちりし 波際に 八十八の花火 末末に映えむ 

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積日 それから

● メールマガジン No.64(2008.12.1)

作品名「積日 それから」
撮影・編集 Original CV 制作 福岡県女性
作品時間 39分
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 6年前の春、父が亡くなった。その夏、私は志を固めて、当時勤めていた会社を辞めた。そして、その秋、父の遺骨の一部を大谷本廟に納めるため、母と兄夫婦と私の4人で京都へ向かった。母と私はその足で、母の実家の新潟へと旅を続けた。

 ビデオ作品「積日」はその旅の記録をまとめたものである。父亡き後、私たち家族がどのように生きていくのか。そのスタートとなった作品でもある。

 そして、それから6年の歳月が経った。

 母は85歳にして両膝の手術を受けて歩けるようになり、白内障の手術も受けて、よく見えるようになったという。その母がこの機会に再び、新潟の実家へ旅をしたいと言い出した。

 11月23日、母と兄夫婦は羽田空港へ到着した。私の準備した車に乗り込み、新潟へ向けて関越道に入った。関東平野は雲ひとつない快晴。雪化粧した浅間山の裾野が長く見えている。赤城山の紅葉も一段と美しい。
 谷川岳には雲が重くかかっている。そして、そのトンネルを抜けると、別世界だった。川端康成の小説「雪国」の通りだ。

 母は十代の頃、「自立したい」という夢を叶えるために、新潟と東京を何度も往復した。母にとっては懐かしい光景なのか、いつになく無邪気に、はしゃいでいるように見えた。

 新潟の母の実家へ到着すると、すぐに荷物を置いて、近くの病院へ向かった。

 病室に入ると、目的の人はベッドに横になっていた。私たちの突然の訪問に驚いた様子だったが、体を起こして少しずつ会話を始めた。

 「舞鶴港のこと、覚えていますか。みんな忙しくて来れないと言うので、あなたが親戚を代表して、私たちを出迎えてくれたのよね。ありがとう。もう日本に戻ることはないと思っていたのに・・・。
 あのとき、あなたはきちっと学生服を着ていましたね。」

 「高校3年生でした。」

 昭和28年、父と母と当時2歳だった兄は満州から帰国した。終戦後8年も経っていた。当時の高校3年生は舞鶴港で父と母を出迎え、2歳の兄を抱きかかえたという。

 母は兄を指し、「あなたとこの子は従兄弟同士になるのかしら。」
 母は続けて、「似ているわねえ。」と話すと、ベッドの上の人は目を閉じて天を仰いだ。そして、左手でタオルを鷲づかみにし、目を覆った。不自由な体で出来る数少ない動作だった。

 長く積み重ねた日々。決して忘れることはないすべてが一度に昇華してしまう瞬間だった。

 母は今回の旅で最も会いたい人に出会えたのだった。

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古代ギリシャの旅

● メールマガジン No.50(2007.10.1)

作品名「古代ギリシャの旅」
制作 Original CV  
作品時間 31分

 アテネに入ると、まず、国立考古学博物館を訪れた。

 いきなりアガメムノン王のゴールドマスクが飾られている。この王は紀元前13世紀に起こったトロイ戦争の仕掛け人である。紀元前9世紀にホメロスがその物語をヨーロッパ最古の叙事詩「イーリアス」にまとめ、19世紀になって初めてシュリーマンがその遺跡を発掘し、それが神話でなく史実であることを証明した。その確たる証拠がそこにあるのだ。胸に込み上げてくる熱いものを感じずにはおれない。

 翌日はアテネ全盛の時代を象徴するパルテノン神殿に登った。ペリクレスが執政したこの時代のアテネ人の誇りはいかばかりのものがあっただろうか。

 そして、アテネからバスに乗りペルマへ行き、船でサラミス島に渡った。まさにこの場所でペルシャの大軍にアテネが勝利した「サラミスの海戦」が行われたのだ。ヘロドトスの著書「歴史」でもクライマックスを向かえる名場面だ。

 最後に、アガメムノン王の居城であり、シュリーマンが発掘したミケーネ遺跡を訪れた。ここはホメロスの物語ばかりではなく、アイキュロスなどに書かれているギリシャ悲劇の舞台の場でもある。
 この遺跡の小高い丘の上に立ち、眼下に見下ろすアルゴス平野、そして、その先のエーゲ海に繋がる海を見ていると、ここからヨーロッパの文明は始まったのだという強い感動が起こった。
 そして今、私自身がそこに立ち、私がこれからやらなければならないことを改めて実感したのだった。

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台北の三日間

● メールマガジン No.36(2006.7.1)

作品名「台北の三日間」
撮影・編集 Original CV、制作 福岡県男性
作品時間 46分

 「おばあちゃん」、「お」「し」「あ」「わ」「せ」「に!」

 若いマイクロバスの運転手が、一生懸命に練習したつたない日本語で母にさよならのあいさつをした。ここは台北の国際空港出発口である。

 この三日間の台北旅行は、数ある旅行の中でもひときわ想い出深いものとなった。主催者は兄夫婦。参加者は兄夫婦の他に、82歳の母、そして、大学院から専門学校へ通う兄夫婦の息子たち3人と私。生存している親子三代が全員集合しているのである。

 私個人としてはビジネスで過去に何十回も台北に来ていた。しかし、それはクライアントの打ち合わせと飲み屋街を放浪しているだけで、台湾のほんの上っ面だけしか見ていなかったと今回の旅行で痛感した。

 まず、台湾の人たちは家族を大切にする。だから、親子三代の旅行と知ると、それがあたかも自分のことであるかのようにとても暖かく接してくれるのだ。カメラのファインダーを覗くと、周りからの暖かい目線を感じずにはいられなかった。

 また、ガイドの陳さんもゼネレーションの違う親子三代を相手にわかりやすく説明してくれた。龍山寺、中正紀念堂、忠烈祠、故宮博物院、はたまた、足つぼマッサージまで。現代の日本人以上に日本をよく知っている陳さんだからこそ、出来る芸当なのだろう。

 この親子三代の旅行で得たものの大きさは計り知れない。そして、この貴重な記録は1本のビデオとなり、私たち家族に新たな宝物として、永遠に残っていくことであろう。

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慶州の旅 〜韓国〜

● メールマガジン No.27(2005.10.1)

作品名「慶州の旅 〜韓国〜」
撮影 Original CV  制作・著作 福岡県男性
作品時間 44分

 7月頃、兄夫婦から要望があり、親子3代で海外旅行へ行こうという案を切り出された。費用はすべて兄夫婦もち。加えて、撮影・編集の費用もいただいてしまっているのだ。頭を畳にこすりつけて感謝をしたい。

 今回の旅先に韓国を選んだのは82歳になる母の足が弱っているので近場がよいだろうという理由からだった。「冬のソナタ」で賑わうソウルは避けて静かな慶州を選んだ。参加者は母、兄夫婦、兄夫婦の長男、そして、私の5人。
 博多港から高速船で釜山に入り、早速、ガイドと打ち合わせた。しかし、足の弱い母には、慶州のコースは歩きや階段が多く無理だろうというのだ。ガーン。まったく予習をしていない私が悪いのだが、それでも行けるところまで行こうということにした。

 釜山の梵魚寺はパスして、直接、慶州に入った。この日は天馬塚、慶州国立博物館を時間をかけてゆっくりと回った。秋晴れの澄んだ空に、乾いた空気が気持ちよく、新羅千年の都の美しさに彷彿とした。
 翌日は登り降りと階段の多い石窟庵と仏国寺に出向いた。登りは母の乗る車椅子をみんなで代わる代わる押した。階段の登りは母の手を取り、降りは兄が母をおんぶをして降りた。

 母は密かに仏国寺を楽しみにしていた。亡き父と一緒に中国・桂林を旅したとき、「一期一会」と書かれた掛け軸を買ってきた。その筆を執った人が仏国寺のお坊さんなのだ。仏国寺とはどういうところか、父の御前で報告したかったに違いない。

 私はファインダーに映る無邪気な母の笑顔に心を動かされた。新しいものを見たいという好奇心、水彩画や俳句の材料を探す輝くまなざし、手で触り感じ旅のすべてを満喫しようという気持ち。この旅に出て本当によかったと思う。

 この旅を支えてくれたすべての方々の暖かい思いやりに本当に感謝したいと思います。皆さん、ありがとうございました。

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天国の憧憬 〜ニュージーランドの旅〜

●メールマガジンN0.11(2004.6.1)

作品名「天国の憧憬 〜ニュージーランドの旅〜」
撮影 東京都 男性
作品時間 42分 (テープ録画時間 104分)

 旅の楽しさは旅自体にあることはいうまでもないが、帰国後録画したビデオを見ることでも新たな発見がある。
 私はある晩、編集後完成した作品を持参してお客様宅で行われた試写会に参加した。そこには旅に参加された皆さんが全員集まり、出来上がった作品を見ることを心待ちにしておられたのである。
 試写会が始まると、皆さんのそれぞれの想い出が一気に噴出され、大変賑やかで笑いあふれるものとなった。そこにいると私も実際に旅に行ったような錯覚におそわれ心底楽しい体験をさせていただいた。心から御礼を申し上げたいと思う。

 さて、前ぶりが長くなったが、作品を紹介しよう。
 この作品はニュージーランド南島を旅したものである。クライストチャーチに降り立つと、まずは港町アカロアで一泊。翌日は鯨を見にカイコウラへ行くが荒天のため船は出ずに×。翌日、今度はマウントクックヴィレッジへ向かうが、この日も悪天のため遊覧飛行できずに×。翌日は更に南下してクイーンズタウンでバンジージャンプを見た後、ティアナウへ行くが宿が見つからず放浪。やっとのおもいでティアナウから100km離れた寂れた町ラムズデンでホテルを見つけた。前半は散々なのである。

 後半はミルフォードサウンドの遊覧船に乗った後、当初、東海岸沿いを北上する計画だったものを変更し、マウントクック遊覧飛行に再挑戦することにした。この辺りから神様が微笑み出した。明日のマウントクック遊覧飛行の前に、泊まったところはテカポ湖畔。このロッジから見る景色は、まさに神から与えられたもの。天国の憧憬だ。翌日のマウントクック遊覧飛行も成功。皆さんが飛んだ後の飛行は悪天のためキャンセルされたというから、完全にツキが回ってきたのであった。

 全編、ニュージーランドの美しい景色が溢れた素晴らしい映像だ。深く吸い込まれる紺碧の空。次々と流れてくるグレイと白の積雲。シャワーの後に見せるまぶしいばかりの木々の緑。そして、到るところに見せる美しい虹。
 最後に、参加者の一人がエンディングで語る言葉でこの作品の紹介を終えよう。
 「旅というのは想い出の宝物だと思うの。今日も一杯の宝物を見ましたね。そして、これからもまた、宝物を探しに一緒に行きましょうね。」

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南ドイツの旅

●メールマガジンN0.7(2004.2.1)

作品名「南ドイツの旅」
撮影 東京都 男性
作品時間 49分 (テープ録画時間 170分)
 
 ツアーに参加しない4人の旅は自由で生き生きとしていた。
 まず、マインツからライン川下りを楽しんだ後、列車を乗り継いで学生の町ハイデルベルグに入る。中世の珠宝ローテンブルグを散策した後、南に下ってノイシュバインシュタイン城へ。そして、オーストリアに渡りモーツアルトの生まれた音楽の町ザルツブルグを見学後、再びドイツのミュンヘンへ戻りオクトーバーフェストを心底楽しんだ。最後に、司祭によって発展した町ヴュルツブルグで最後の晩餐を終えた。
 なんとハードであるが、楽しい旅なんだろう。調査や手配はすべてインターネットで行ったという。それでも連絡が取れないところは現地で飛び込み。旅というものの醍醐味を十分に味あわせてくれた。

 そして、このビデオ作品の出来上がりはどこの放送局に出してもおかしくないほどのものとなった。ビデオカメラは市販の中級クラス、三脚は最も軽いもの。でもこれだけの映像が撮れるとは誰が信じるだろう。それは一場面一場面、きちっと三脚を立てアングルを決めて撮影したものの集大成であるからだ。ビデオカメラ撮影の基本は固定撮りということを改めて実感させられた素晴らしい作品だった。

<<お客様(東京都 女性)のご感想>>

 楽しかった旅行も日がたつにつれて思い出も忘れがちなものです。だからと言って、撮影してきたビデオをすべて3、4時間かけて見ることもなかなかできないものです。
 ビデオを編集していただき、音楽とともに良いシーンのみで綴られたこのビデオは、まるでテレビドラマを見ているような感じさえ覚え、大変感動しました。
 また、折に触れ時々繰り返して見ることができるので、そのたびに旅の思い出が脳裏に浮かんできます。何度も、思い出と一緒にその場所に行けるのです。
 ビデオ編集していただいてよかった。これは、私の思い出の宝石箱です。
 ありがとうございました。すばらしいの一言です。

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唐の国紀行

●メールマガジンN0.2(2003.9.1)

作品名「唐の国紀行」 
撮影 山口県男性
作品時間 76分 (テープ録画時間 431分)

 ご依頼者から送られてきたものは、miniDVテープ8本(録画時間431分)、BGM用CD6枚、厚さ3−5cmのアルバム10冊と全旅行行程表詳細。そして、編集指示書2枚。
 この大作を編集するには6ヶ月間かかった(納期遅延はご了解済み)。ご依頼者の熱意がそのまま編集する私の方にも乗り移ったようだ。

 「唐の国紀行」とは、中国にお詳しいN先生を中心に、研究を兼ねて中国への旅を続けてこられたグループの旅の名称である。1990年の北京、西安を皮切りに、シルクロード、黄山、長江クルーズ、チベット、洛陽、そして、番外編の台湾と北米を入れ、2001年までに収録した12年間に及ぶ記録であった。

 編集は、各旅毎に章を設け、それだけでひとつの小作品とし、最後に全体のオープニングとエンディングを付けた。オープニングは一目で12年間の記録がわかるようにと約40シーンが左から右へと動くマルチ横スクロールという手法を用いた。そして、エンディングは12年間を共に歩んでこられたメインの参加者の皆さんの各々のシーンを用いた。

 DVDでは、章毎に頭だしが出来るので、好きな旅の映像だけをご覧になることも出来る。作品が完成したときには、一仕事終わったという充実感が残った。


<<お客様の声>>

 約12年の間に中国を中心にした旅行を一纏めにして更なる旅行にするのが目的でしたが、こうして見ると、良くも此れだけ続いたものだし、本当に友達が出来たと痛切に感じました。やはりビデオ撮影があればこそです。各旅行に想い出は沢山あるのですがやはり一纏めにすると壮観ですね。自分なりに本当に感謝しています。

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