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No. 180 2018-08-01 [撮影四方山話] 歴史

 オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。

 メルマガ終了までのカウントダウン、「10」。

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<目次>
1.[撮影四方山話] 歴史
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「Homer sometimes ... - Climbing in Kalymnos -」(後編)
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1.[撮影四方山話] 歴史

 ヘロドトスの著書「歴史」は壮大なペルシャ戦争を描いた作品として有名ですが、この著書の中の巻二(エウテルペの巻)に、トロイ戦争に関して驚くべきことが書かれているのです。

 ヘロドトスがエジプトの祭司に聞いたところによると、パリスはスパルタからヘレネを奪い母国(トロイ)に向ったがエーゲ海に入って烈風に流され、エジプトに漂着したというのです。時のエジプト王であるプロテウスは次のように判決を下しました。

 「かりに余が、風によって流されわが国に漂着した外人は決して殺さぬことを信条としておらぬならば、必ずや予はかのギリシャ人に代わってお前に誅罰を加えたであろうぞ。もてなしを受けながら世にも非道な行為を働いた、この怪しからぬ不埒者め。歓待をしてくれた者の妻に手を出すとは何たることじゃ。しかもそれにあきたらず、女を唆し夫の許より奪いとって逐電をはかりおった。いやいやそれでもなお足らずとして、恩人の屋敷を荒し財宝を奪って参ったのじゃ。
 さてしかし、予は外人を殺さぬことを信条としておる故に、このように致そう。この女と財宝とはお前に持ち去らすわけにはゆかぬ。お前が客となったかのギリシャ人が、自身でこの地に参り持ち帰ろうというまで、彼のために予が預かっておく。お前と連れの者共は、三日の内にわが国を退散し他の国へ移るように申し付ける。もし命に背けば、敵として扱われるであろうぞ。」(ヘロドトス『歴史』(上)松平千秋訳 岩波文庫)

 つまり、ヘレネと奪った財宝はエジプトにあるのであって、トロイにはない!

 ヘロドトスが言うには、ギリシャ軍がトロイに着き、ヘレネと奪った財宝の返還を要求すると、トロイ軍側は「それらはエジプトのプロテウス王の許にあって、ここにはない。」との答えだった。ギリシャ軍はトロイ軍に愚弄されていると思い込み、トロイを包囲攻撃し、ついには占領した。しかし、占領してみてもヘレネは現れず、相変わらず前と同じ話を聞かされるに及んで、ようやくはじめの話を信じ、スパルタ王のメネラオスをエジプト王のプロテウスの許へやった。メネラオスはプロテウスから非常な歓待を受け、無事のままのヘレネと財宝を返してもらった。・・・

 ヘロドトスはホメロスも知っていたはずだと述べているのですが、それが事実だとしたら、トロイ戦争とはいったい何だったのでしょうか。戦争の大義であった奪われたヘレネと財宝はトロイに無かったのです。それでもトロイは滅びなければならない運命だったというのでしょうか。

 トロイ戦争は紀元前1200年に起きたのですが、それから約3200年が経った今日、私たちは相変わらず同じような戦争を繰り返しています。

 2003年3月20日、イラク戦争が勃発。この戦争の大義は大量破壊兵器にあったのですが、結局、それは見つかりませんでした。

 人類は歴史から何を学んでいるのでしょうか。「歴史は繰り返す」というどうしようもない人間の性を未来も見続けなければいけないのでしょうか。当時、虚しさだけが残るなかで、クライマーの皆さんの協力を得てひとつの作品を作りました。

『No War』
https://www.originalcv.com/climbing/1606videoWorks/aWork/index.php?wnum=13


2.先月のイチオシ!! ビデオ作品

作品名 「Homer sometimes ... - Climbing in Kalymnos -」(後編)
制作 Original CV
作品時間 59分

 「折角、ギリシャまで行くのです。クライミングをしただけで帰って来るのはあまりにもったいない。」というAご夫妻のご意見で、カリムノス島から移動して、アテネに1週間弱滞在しました。

 実を言うと、それまで私はクライミング以外の目的で、そんなに長く海外に滞在したことはなかったのです。

 Aさん曰く、「ヨーロッパ各地の遺跡や文化施設を回ってそのひとつひとつを見ながら、その原点を追っていくと、それらはすべてギリシャに繋がり、ヨーロッパ最古の叙事詩を書いたホメロスにたどりつく。」

 だからこそ、アテネをじっくりと見ていた方が良いということなのでしょう。

 パルテノン神殿のあるアクロポリス、国立考古学博物館、ペルシャ戦争の舞台となったサラミス島など毎日、毎日、歩き回りました。クライミングよりもこちらの方が疲れましたが、百聞は一見に如かずの言葉通り、これまで本を読んで想像していた以上にはるかにスケールの大きい世界がそこに広がっていました。

 その中でも最も心を揺さぶられたのはミケーネ遺跡でした。

 ミケーネ遺跡はペロポネソス半島の中にありますので、私たちだけでは簡単に行けません。そこで、ミケーネ遺跡のバスツアーに申し込んだのです。朝、バスに乗り込むと女性のバスガイドがマイクを持って英語で話し始めました。

 「皆さん、こんにちは。ギリシャ語で『こんにちは』は『カリメラ』。『カラマリ』じゃないわよ。」(『カラマリ』はイカのリング揚げ。)

 笑ってやった方がいいんだろうなと思いつつも・・・。そうやって、バスツアーは始まりました。

 アテネから出発して、両側が切り立った深い崖になっているコリントス運河を通り、ペロポネソス半島に入りました。エピダヴロス野外劇場を見た後、何とも美しいナフプリオンの港を通過。時間があるなら、ぜひとも一泊したい場所。そして、アルゴス平野に出て、いよいよミケーネ遺跡のある小高い丘に入っていきました。

 バスが駐車場に停まると、そこから丘の頂上を目指して、歩いて登ります。遺跡の入り口には獅子の門があり、大きな三角石に2頭の獅子が彫られています。威厳という言葉が相応しい。その門を通って右手に、アガメムノン王の黄金のマスクが発掘された円形墓地があり、トロイを攻めたギリシャ軍総大将のアガメムノン王が居住していた王宮を通りました。そして、一番高いところにあるメガロンに出ると、アルゴス平野が下方に一面に広がっていました。丘の上からの絶景です。そのはるか向こうは海です。

 「あの海からトロイに向けて、ギリシャ軍は出発していったんだ。ホメロスがヨーロッパ最古の叙事詩として書き、それを神話ではないと信じて発掘したシュリーマン。その事実がここにある。」

 そう思うと膝ががくがくと震えて来ました。

 「ここがヨーロッパ文化の出発点なんだ!」

No. 179 2018-07-01 [撮影四方山話] ネコ客動員数

 オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。

 今、世界の話題はワールドカップのみ。オーレオレオレオレ―!

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<目次>
1.[撮影四方山話] ネコ客動員数
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「Homer sometimes ... - Climbing in Kalymnos -」(中編)
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1.[撮影四方山話] ネコ客動員数

 毎朝のジョギングは15年以上続く、私にとっては欠かせない日課となっています。横浜から北九州へ引っ越してからもそれは変わることはありません。

 しかし、横浜と北九州では同じ日本の中とはいえ、環境が違います。横浜では毎朝のジョギング中に、私と同様に走っているジョガーに2-3人は会いました。一方、ここ北九州に移ってから、毎朝のジョギング中にジョガーに会うことは滅多にありません。もちろん、こちらもメキシコオリンピックで銀メダルを取った君原健二さんが走っていたという、ジョガーの集まるコースやエリアなどがあるにはあるのです。その付近を私が走っていないということもあるでしょうが、それにしても会わないものです。

 ところが、こちらで毎朝のジョギングで必ず会う観客がいます。それはネコです。

 いつも定位置にじっとしていて、こちらを見ています。
 「なんで、朝からそんなにフーフーハーハー言いながら、走っているの? もっと世の中、楽に暮らせばいいのに。」
と言われているようで・・・。さすがに時代は明治ではないので、「吾輩は猫である」と気取っている輩はいないようです。

 日によっては10匹以上のネコ客動員数があり、横浜の5倍以上はいると思います。

 そうそう、福岡県にはネコ島と呼ばれている島がいくつもあり、玄界灘に浮かぶ相島、そして、響灘に浮かぶ藍島、馬島は有名です。ネコ島という意味はその島に住む人間の数とネコの数を比較して、ネコの数の方が多いとき、そのように呼ぶとのこと。藍島、馬島は日本書紀にも名前が出て来ますので、由緒があるところです。

 福岡県のあまり知られていない一面でした。ネコ好きな方はお越しくださいませ。


2.先月のイチオシ!! ビデオ作品

作品名 「Homer sometimes ... - Climbing in Kalymnos -」(中編)
制作 Original CV
作品時間 59分

 ギリシャ・カリムノス島はエーゲ海の東南方面、それもトルコの海岸線に近いところに位置しています。

 私が訪れた2006年頃はカリムノス島の空港はオープンしたばかり。私たちは従来通り、アテネからコス島までローカル線の飛行機で行き、そこから船に乗り継いでカリムノス島へ入りました。

 コス島は医学の祖ヒポクラテスの出身地ですので、それに関する遺跡もあります。お医者さんならば興味津々というところでしょうが、私が興味を持ったのはその気候でした。それはカリムノス島との比較という意味でです。カリムノス島とコス島は船で40分ぐらいしか離れていないのですが、気候がとても違うのです。特に感じたのは湿度。カリムノス島は乾燥しているのですが、コス島はそれに比べて湿度が高い。

 だから、コス島は草が育つので牛を飼えるそうですが、カリムノス島は乾燥し過ぎていて、棘状の植物しか育ちません。よって、ここでは牛を育てられずに、ヤギしか飼えないのです。目と鼻の先のように近いのに、気候が全く違い、動植物体系も違うとは不思議なものです。

 カリムノス島の港町に入ると、そこからマスーリまでタクシーで行きました。マスーリこそがクライミングの拠点となる小さな町です。私たちはその中にあるひとつのスタジオに部屋を借りました。窓を開けると正面にテレンドス島が見え、実に美しい。海はきれいなコバルトブルー。そして、空気は乾燥して本当に清々しい。

 毎朝、陽が差し込んでくると朝食を始めるのですが、これは「郷に入れば郷に従え」の通り、隣の部屋のドイツ人クライマーと同じように、陽が差し込む側のドアを開け、テーブルを外に出して、陽を浴びながら食事をします。部屋で食事をするのとは違い、実に開放的で気持ちがよいのです。別に豪華なものを食べているわけではなく、パンとコーヒーというだけのことなのですが、気持ちは豪華になれるということでしょうか。

 ある日、SINPLIGADESという標高300メートル程のクライミング・エリアに行くことにしました。そこのエリアに行く途中に、家を建てている老夫婦にお会いしたのです。まだ基礎工事中なので、セメントを捏ねていました。慣れないのでしょうか、そのおじさんの顔いっぱいに飛び散ったセメントの粒が付いていました。

 こちらに気付くとセメントの粒の顔に満面の笑みを浮かべて、
 「日本から来たのかい? わしは昔、船乗りとして、八幡、広島、神戸へ行ったことがあるよ。よく来たね。この美しいカリムノス島を楽しんでいってくれよ。」
と、英語で話かけて来ました。その柔和な笑みが本当に印象的でした。自分が老いたとき、あのように人を包み込むような、柔和な笑みを浮かべることが出来るのだろうか。その日から、あのおじさんの笑みは私の目標となりましたが、とてもその境地に達するまでには至りません。

 カリメラ(こんにちは)、エフハリスト(ありがとう)、というふたつのギリシャ語と共に、今でもあのおじさんの笑顔は心の中にずっと残っています。

 さて、カリムノス島には途方もないクライミング・ルートが開拓されていました。2006年の段階で、エリア数は43、開拓されているクライミング・ルートは853。2週間やそこらの滞在でとても回り切れるものではありません。

 その中で、興味を持った2つのクライミング・エリアの名前は、ILIADA、ODYSSEY。どちらもホメロスが書いた2つの叙事詩イーリアス、オデュッセイアにちなんでいます。そして、そのエリアで設定されているクライミング・ルート名はその2つの詩に登場する人物が中心。

 例えば、ILIADAエリアのクライミング・ルート名は次の通り。

 Paris, Beautiful Helen, Menelaos ・・・ トロイ戦争を起こした3人の張本人。トロイの王子パリスはスパルタ王のメネラオスから、その妻ヘレネを連れてトロイに逃げ帰りました。トロイ戦争はヘレネを取り戻すための戦争だったのです。

 Ektor ・・・ ヘクトールはパリスの兄であり、トロイ最強の戦士。ギリシャ側に勝利目前まで追い詰めるも、最後はギリシャ最強の戦士アキレスに討たれてしまいます。

 Priamos ・・・ プリアモスはトロイの王。ヘクトール、パリスの父でもあります。アキレスに討たれたヘクトールの亡骸は野ざらしにされたまま。見るに耐えかねたプリアモス王は危険を覚悟の上で、夜中に単独でヘクトールの亡骸を捜しに出かけました。

 このPriamosという名前を付けられたクライミング・ルートは高さ31メートルの長いルートでした。グレードは6b+なのですが、その淡々としたルートにプリアモス王の苦悩が滲み出ているように感じたのです。トロイ王でありながら、その最愛の息子ヘクトールの亡骸を求めてさ迷い歩く父の姿。

 このクライミング・ルートの名前を付けたクライマーはこのルートのどこかに、私が感じたものと同質の何かを感じていたのではないでしょうか。

 ギリシャ・カリムノス島までやって来てクライミングをした価値は十分過ぎるほどにありました。それは自分にとってはひとつの大切な宝だと言えるものです。

<1分10秒ほどの映像>
https://www.originalcv.com/climbing/1606videoWorks/aWork/index.php?wnum=21

No. 178 2018-06-01 [撮影四方山話] 終わりの始まり

 オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。

 近くの公園に花の苗をたくさん植えました。花は人を明るくします。

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<目次>
1.[撮影四方山話] 終わりの始まり
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「Homer sometimes ... - Climbing in Kalymnos -」(前編)
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1.[撮影四方山話] 終わりの始まり

 突然ですが、このメルマガは今回を含めて残り12回の発行をもって終了します。

 その理由は、メルマガの当初の目的であった個人向けビデオ作品市場の裾野の拡大という点において、十分に達成し、役目を終えたと思うからです。

 このメルマガの発行を始めた2003年当時の市販用ビデオカメラはHi8からMiniDVに代わり始めた頃。つまり、漸くアナログの時代に終止符を打って、デジタルの時代に移行してきたときでした。しかし、市販用ビデオカメラの各社のカタログを見ると、購入の動機付けとしては相変わらず、結婚式や子供の運動会の撮影といったものばかり。

 市販用ビデオカメラの用途はもっと広いはず。それを使った個人向けビデオ作品市場の潜在力はもっともっと大きいはずであり、その大きさをどうにかして広めたいと思っていました。

 そこで思いついたのが、このメルマガの発行。「先月のイチオシ!! ビデオ作品」として、毎月初めにひとつずつビデオ作品を紹介し始めました。いろいろなジャンルのビデオ作品を紹介することにより、その潜在力の大きさを示すことができるのではないかと思ったからです。

 それをこの15年間続けてきたわけですが、紹介したビデオ作品の数はもう知らぬ間に180近くに達しているのですね。

 ジャンル別として、10のカテゴリーに分けました。「クライミング・登山」、「結婚式・披露宴」、「音楽ダンス発表会」、「家族」、「旅」、「卒園式・卒業式」、「お祭り」、「講演会」、「同窓会」、「ヨット」です。
https://www.originalcv.com/jisseki/sakuhinShoukai/

 カテゴリーの分け方があまりにバラバラで適切でないとは思いましたが、逆に、それだけ個人向けビデオ作品の用途は裾野が広いということを物語っているのではないかとも思いました。また、紹介したビデオ作品の中には、上の10のカテゴリーのどこに入れたらよいのかわからないものもありましたが、強引にそのどこかに入れてしまったものもありました。

 こうやって振り返ってみると、よくこれだけ紹介して来たなと感慨深いものがあります。まさに世界中、日本中を駆け回って撮影したものもたくさん含まれていますから・・・。

 そして、今や個人向けビデオ作品制作の市場には大手のテレビ会社までが参入してきており、15年前に比べてそのポテンシャルがいかに拡大し、様変わりして来たのかがわかります。

 もちろん、ビデオカメラの記憶方式はテープからハードディスクへ、そして、今ではSDカードになっており、ビデオ編集自体も安価なソフトが普及して、格段に簡単に出来るように変わって来ました。そして、YouTubeの登場により、アマチュア動画の市場認知が一気に進みました。

 このように世界は大きく変わって来ましたが、だからと言って、ひとつのビデオ作品がもつ価値は古今東西変わらないと思います。それは人の心に沁み込む素晴らしいアートです。

 メルマガの発行は残り12回をもって終わりにしますが、オリジナル・シー・ヴイの個人向けビデオ作品制作が終了するわけではありません。皆様からビデオ作品制作を依頼され続ける限り、これまでと同様にオリジナル・シー・ヴイを続けていきます。それが私のライフワークなのですから・・・。


2.先月のイチオシ!! ビデオ作品

作品名 「Homer sometimes ... - Climbing in Kalymnos -」(前編)
制作 Original CV
作品時間 59分

 エーゲ海に浮かぶ島、ギリシャ・カリムノス島で本格的なクライミング・ルートの開拓が行われていると聞いたのは2002年頃だったと思います。

 雑誌などのマスメディア情報ではなく、クライミング仲間からの口コミ情報でした。そのとき、現地で撮影された複数枚の写真も見せられたのです。コバルト・ブルーの海に浮かぶ真っ白な島。タイ・プラナンのエメラルドグリーンの海とは対照的でした。その美しさにいっぺんで魅せられました。

 早速、情報収集を始めました。

 ギリシャ・カリムノス島で本格的なクライミング・ルートの開拓が始まったのは2000年前後。開拓を始めた人たちはそれを2000年プロジェクトと呼んでいたようです。もともとカリムノス島は夏のオン・シーズンに訪れる観光客のためのリゾート地だったのですが、冬のオフ・シーズンは観光客が寄り付きません。リゾート施設も観光客が来ないのではどうしようもありません。

 現地の住民は、冬はカリムノス島を離れて、ギリシャ本土やロードス島などの大きな島に移って、出稼ぎをしなければいけませんでした。本当は美しいカリムノス島で1年を通して住んでいたかったのです。

 そこで冬でも観光客を集める方法がないかと目を付けたのが、カリムノス島のあちらこちらにある大きな石灰岩の岩場。冬のシーズンはここにクライマーを招き入れることが出来ないかと・・・。

 ここでもタイ・プラナンと同じようにクライマーと現地住民との間に協力関係が出来上がったのです。

 まず、クライミング・ルートを開拓するには大量のクライミング・ボルトが必要になります。それをすべて現地住民側が準備し、クライミング・ルートを開拓するクライマーに無償提供しました。

 地元住民は開拓するクライマーに対して、
 「クライミング・ボルトを無償提供するから、クライミング・ルートをたくさん開拓して欲しい。そして、開拓したクライミング・ルートの場所や難易度などの情報は地元住民側に知らせて欲しい。」
という具合です。そして、その情報を基に、カリムノス島のクライミング・ガイドブックを作成し、カリムノス島の素晴らしさを世界中のクライマーに向けて発信しました。

 そして、クライミング・コンペを開き、著名なクライマーを招待したりして、その知名度は瞬く間に世界中のクライマーに広まっていったのです。

 一方、私の方は現地のクライマーにEメールを入れ、クライミング・エリアや宿泊施設の具体的な情報を入手していました。あとは行くだけという状態になっていたのですが、同行するパートナーが見つかりませんでした。企画する段階では深く考えていなかったのですが、滞在期間がネックになっていました。

 私としては折角ギリシャまで行くのだから、少なくてもクライミングで2週間、アテネなどでの観光で1週間、計3週間の旅行日程を組んだのです。ヨーロッパではバカンスの考え方が定着していますので、3週間の休みと言っても驚きません。しかし、日本の場合、サラリーマンで3週間休める人なんて、まったくの皆無に近い・・・。

 企画はそのまま棚上げされて、数年が経ちました。

 そして、あるとき、たまたま、Aご夫妻に出会ったのです。

 「今年、ギリシャ・カリムノス島へ行って来たよ。ひと月ぐらい滞在したかなあ。帰ってきたらギリシャボケしていたよ。来年も行くけど一緒に行く?」

 「はい、行きます!」

 人の運命なんて、どこでどのように変わるかわかりません。そして、Aご夫妻に出会えたことはまったくの幸運でした。Aご夫妻はヨーロッパの文化に深い造詣をもたれていたのです。

 まず、これを読んでみたらと一冊の本を手渡されました。シェイクスピアの問題作「トロイラスとクレシダ」でした。トロイ戦争を題材にしているのです。これを皮切りにまずは原点となるホメロスのイーリアスとオディッセイア、アイスキュロスのアガメムノーン、ペルシャ戦争を描いたヘロドトスの歴史と読破していきました。

 このことが翌年、ギリシャを旅したとき、どれほど役に立ったか。というよりは、旅というものをどれほど奥深いものにして行ったのか。クライミングだけではない人生の深さを感じるようになっていったと思います。

No. 177 2018-05-01 [撮影四方山話] 虜(とりこ)

 オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。

 ああ、花粉症・・・。

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<目次>
1.[撮影四方山話] 虜(とりこ)
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「HOT CLIMBING(シリーズ)」
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1.[撮影四方山話] 虜(とりこ)

 タイ・プラナンの話題も4回連続となっては、皆さんも飽きられることでしょう。まだまだ書きたいことはありますが、今回でタイ・プラナンの話題については一旦、筆を置きます。

 最後にタイ・プラナンの虜になっていった理由について、私なりの意見を述べておきたいと思います。

 私は計6回タイ・プラナンへ行きました。それほどタイ・プラナンに魅せられていたのです。ロサンゼルスに住む私の友人は当時、私と同じように毎年のようにタイ・プラナンへ行き、「タイ・プラナンは第2の故郷だ」と公言していました。また、私に同行した日本人クライマーのひとりはその後もタイ・プラナンに通い続け、タイ・プラナンで知り合った女性と結婚し、今ではそこのインストラクターのような仕事をしています。まさに彼の人生はタイ・プラナンそのものになってしまったと言っても過言ではありません。

 20年前、世界中のクライマーを魅了し、タイ・プラナンに彼らを集結させた魅力とは一体、何だったのでしょうか。

 それは世界でも類を見ない「Climbing & Resort」に成功したからです。つまり、クライマーによるクライミングルート開拓と地元住民による宿泊施設などのリゾート開発が車の両輪となってがっちりと噛み合ったからです。

 世界中に良い岩場はたくさんあります。しかし、その良い岩場に集まってくるクライマー達はその岩場の近くのキャンプ場でテント生活を送るのが普通であり、リゾート地で悠々自適に生活していたわけではありませんでした。彼らはクライミングだけに没頭し、必要最低限のお金しか使いません。よって、地元住民にとってはありがたいわけではなく、トイレの問題や駐車場の問題でトラブルを起こし、なおかつ、墜落事故などが生じてしまっては迷惑以外の何者でもありませんでした。

 「クライマー VS 地元住民」という構図は世界中至る所でありましたが、この両者が手を取り合って協力をするという姿は見たことがありませんでした。タイ・プラナンの場合、それが実現したのです。

 だから、初めてタイ・プラナンに行ったとき、いつも毛嫌いされているはずのクライマーが暖かく迎え入れられたということが新鮮な喜びでした。居心地がいいのです。そして、すべてのものが安いので、お金でカリカリする必要はありません。日本での生活を考えれば、そこの生活は王様になったような気分です。

 日本から来る私でさえ、そのように思ったのですから、北欧や北米からクリスマスの寒い時期に来るクライマーにとってはアジアのエキゾチックな魅力と共に、その地がパラダイスに見えたのも当然のことです。

 昼間はクライミングで狂喜し、夕方、美しく澄んだエメラルドグリーンの海で汗を流す。そして、夜はバーで世界中から集まって来たクライミング仲間と共にビールを片手に語り明かす。旅で気持ちが大きくなっていますから、話は輪をかけて大きくなっていきます。世界中から集まって来たクライマー仲間と共有できるゴージャスな時間。

 楽しい。楽し過ぎる。これを体験するとタイ・プラナンの虜になっていくのです。

 しかし一方で忘れてならないのは、リゾート開発というものは大きな自然破壊を伴うということです。美しかった海は毎年白濁化が進み、もう元に戻ることは決してありませんでした。

 すべてがうまくいくことなんてあり得ません。常に何かの犠牲を伴いながら進んでいくものですが、昔のタイ・プラナンを知っている人たちは自然とそこから足が遠ざかっていきました。過去の良い想い出を胸に秘めながら・・・。


2.先月のイチオシ!! ビデオ作品

作品名 「HOT CLIMBING(シリーズ)」
制作 末次浩


 「HOT CLIMBING」 (2001)
https://www.originalcv.com/climbing/1606videoWorks/aWork/index.php?wnum=7
 「HOT CLIMBING2」 (2002)
https://www.originalcv.com/climbing/1606videoWorks/aWork/index.php?wnum=9

 この2作品こそが、情報の少なかったタイ・プラナンを日本の多くのクライマーに紹介する決定的なものとなりました。

 これらの映像情報がどれほど大きな存在であったかは当時の環境を見ればわかります。

 登山用品販売店に出かけて行って、そこで販売されているものと言えば、欧米の著名人クライマーのVHSテープが主流であり、著名な日本人クライマーのビデオは数本しかありませんでした。

 インターネットはまだ黎明期であり、個人のホームページが漸く広がっていったような時代。回線速度は256k-IMbps程度なので、インターネット上で配信する動画もマッチ箱のようなサイズのものが紙芝居でできる程度。それでも通信料が増えてしまうので、動画配信するには専用線を引いて、自宅でサーバーを立ち上げなければなりませんでした。もちろん、YouTubeなんてあるわけではありません。

 「HOT CLIMBING2」の制作においては、私自身がまだサラリーマン生活でしたので、映像編集にかける時間は会社へ行く前の1-2時間程度。パソコンの性能だって今の比ではありません。また、この作品は現地で知り合ったドイツ人や香港人クライマーにも配布するため、英語のテロップを入れなければなりませんでした。よって、このひとつの作品を完成させるのに2か月ぐらいはかかりました。

 一人の限られた時間でビデオ作品を制作するということがどういうことであるのかが、身に染みた時でした。そして、この映像情報の配布はVHSテープから代わって、当時出始めたDVDを媒体にして、郵送で送りました。ひとつの作品のインターネット上での動画配信なんて、夢のまた夢。

 そして、この映像情報を欲しいと希望する日本各地のクライマーに配布され、そして、それはその地域の多くのクライマーに回覧されていったのです。

 私にとって、タイ・プラナンとは世界各地のクライマーに出会えるきっかけであり、そして、その映像情報を配布することによって日本各地のクライマーと知り合えるきっかけでもありました。そして、その映像のもつ力(ちから)を実際に肌で感じた時でもありましたから、その後の自分の人生の時間を映像制作に携わることにかけてみたいとも思ったのです。

 その後、いくつかのきっかけが重なって、サラリーマン生活に終止符を打ち、翌年、個人向け映像制作サービスとして、オリジナル・シー・ヴイを立ち上げました。

 一方、リゾート開発が進み、ますます一般観光客が増えるタイ・プラナンに対する興味は次第に薄れて来ました。それに代わって、エーゲ海上の小さな島で大規模なクライミングルートの開拓が進めらているという情報がいち早く入って来ました。その数枚の写真を見ただけで、ここは行かなければならないと直感したのです。現地のクライマーにEメールを送り、いろいろな情報を取り寄せて企画を進めたのですが、その実現は容易ではありませんでした。

 次回はその話から始めたいと思います。乞うご期待。

No. 176 2018-04-01 [撮影四方山話] 両生類感覚

 オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。

 お彼岸過ぎて、いよいよ春本番です。

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<目次>
1.[撮影四方山話] 両生類感覚
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「PHRA NANG 2000」
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1.[撮影四方山話] 両生類感覚

 川や海の撮影のとき、映像カメラクレーンを使って、陸上から水中に入っていくシーンをご覧になられている方も多いのではないかと思います。なんとも不思議な感覚を持つシーンです。

 映像カメラが陸上にあるときは鳥が飛んでいたり、木が風で揺れていたりするのですが、映像カメラがザブンと水中に入るとそこにはたくさんの魚が泳いでいます。

 スクーバ・ダイビングを体験すると、この感覚が実際に味わえます。両生類になった気分ですね。

 タイ・ピーピー島で”体験ダイビング”をした私は翌年のタイ・プラナン行きを目指して、初心者向けのスクーバ・ダイビングのライセンスを取得することにしました。つまり、PADIのオープンウォーターコースを受講したのです。

 このコースは本当によく考えられていて、スクーバ・ダイビングの知識と経験を積むには最善の方法だと思います。1日はプールで、2日間は海に入っての実習だったと思いますが、受講者をいきなり潜らせたりはしません。徐々に徐々に水に馴染ませて、少しずつ少しずつ深く潜っていくようにカリキュラムが組まれています。ですから、耳抜きが苦手な人も徐々に対応出来るようになります。

 私が受講した初日、驚きました。

 受講者はたくさんいたのです。まず、インストラクターが声をかけました。

 「皆さん、どのような方法でもよいので、このプールの向こうまで泳いで行ってください。泳げない方は歩いていってもいいです。」

 私は平泳ぎなり、クロールなどで25メートルのプールを泳いでいったのですが、なんとまったく泳げない女性も複数受講していたのです。泳げないのに、スクーバ・ダイビングのライセンスを取得しても大丈夫なの? 結果的には受講者全員がライセンスを取得しましたからOKなのでしょう。

 それにしても違う世界というのは面白い。普段、陸上で生活している私たちが水中に入ると、まったく予想していないシーンに出会うことがあります。

 あの泳げない女性がレギュレータのマウスを加えて潜っていたのですが、海上に頭を出した時、もどしてしまいました。余程気分が悪かったのでしょう。陸上では「あーあーあーあ」となるところですが、海では違います。小魚が彼女のところにたくさん寄って来て、彼女が出したものをものの見事に全部食べてしまいました。あっという間のことです。海の浄化作用というのでしょうか・・・。

 そして、私が最も気に入っていた浮遊感覚。手足をバタバタさせずに水中に留まっているだけのことなのですが、これがなんとも気持ちがよいのです。アクアラングから肺に酸素を吸い込みますが、肺は浮袋と同じなんです。息を吸うと浮上しますし、息を吐くと自然と潜っていきます。数メートル程度なら呼吸だけで潜ったり浮いたり出来ます。

 茶の間のテレビしか見ていないのに、世界中のことを全部知っていると思っているあなた。両生類体験のような未知との出会いは驚きと共に、あなたの気持ちをリフレッシュしてくれるはず。閉じ込められた世界から抜け出して、新しい息吹を感じてみませんか。「百聞は一見に如かず」ですよ。


2.先月のイチオシ!! ビデオ作品

作品名 「PHRA NANG 2000」
制作 末次浩
時間 37分

 昨年の”体験ダイビング”で懲りた私はPADIのオープンウォーターのライセンスを取得し、今年こそは満足の出来るスクーバ・ダイビングをしようと意気込んでいました。

 今年(西暦2000年)のタイ・プラナン行きも、昨年と同様にメンバーはAさんと私の二人だけ。珍道中コンビは相変わらず健在でした。

 プラナンに滞在を始めて、最初のクライミングのレスト日に、いよいよスクーバ・ダイビングをすることにしました。ライレイビーチではフランス人のインストラクターがダイビング・スクールを開いていましたので、そこに参加することにしました。

 その日、器具一式を載せてボートに乗り込んだのはインストラクターであるフランス人夫妻、アドバンスドコースを受講しているドイツ人カップル、そして、初級コースを楽しむ日本人のAさんと私の計6人でした。会話は英語で行いました。なんだか不思議ですね。

 ライレイビーチを出発して、沖合いの小さな島の岸壁沿いにボートを留めました。しかし、そこは入り江ではなく外洋なので、ボートは波間に揺られ、そしてまた、揺られます。1本目のダイビングを終えたAさんと私は、アドバンスドコースを受講しているドイツ人が上がってくるのを待っていたのですが、その間に完ぺきに船酔いしてしまいました。二人の顔は青白いというよりも土色をしていました。

 持参した昼食を見る気もしない。2本目のダイビングなんてしなくてよいから、さっさとライレイビーチに引き返して欲しい。

 そこに1本目のダイビングを終えたドイツ人たちが上がって来たのですが、「こんな美しい海は見たことがない」と目を輝かせ、楽しさではち切れないというように興奮していました。私ら二人とまったく対照的でした。

 その後も、2本目のドイツ人たちのダイビングが終わるのをボートの上で待ち続けるこの苦しみ。どうも私にとって、タイでのダイビングは相性が悪いという一言に尽きました。

 そして2回目のタイ・プラナンの旅も最終日を向えるという日、タイワンドウォールというクライミングエリアのマルチピッチを登ることにしました。6A+ 25m, 6B+ 25m, 7A 45m, 6B 28mという薄かぶりの前傾壁が100m以上続く、日本では見ることが出来ない豪快なルートです。登り切った後は40m,40m,55mの3回の懸垂下降で降りて来ます。最後の55mは完全に空中に飛び出る空中懸垂となります。

 が、しかし、この年に持参したロープ2本の長さは60mと50mだったのです。

 すぐに、「最後の空中懸垂はロープの長さが5m足りなくなるね」と分かりそうなもの。「そんなこと考えなくたってわかるよ」とクライミング仲間からお叱りを受けるのはごもっとも。

 私たち二人はプラナン・ボケをしていたんでしょう。何の不安も持たずにこのルートにトライし、登り切ったのです。1回目40m、2回目40mの懸垂下降を終え、最後の3回目55mの懸垂下降に入ろうと私が先に降りようとしたときでした。

 50mロープの末端が空中でゆらゆらと揺れているんです。

 「Aさん、ロープが下に着いてないよ。」

 あっと、その瞬間始めて、55mの懸垂下降で50mのロープを使ったら、5m足りなくなるということに気付いたのです。

 「馬鹿だね~。どうすんの?」

 目を凝らして下方の壁を観察していると、豪快な空中懸垂が始まるその直前のところに、他のルートの下降ポイントがあることに気付きました。そこまで10m程です。

 「あそこまで降りて、懸垂支点を作り直せば、無事に降りられる。助かった~。」

 クライミング事故の約半分は懸垂下降時に発生しており、そのほとんどが死亡に繋がる大事故になっています。このような大チョンボがあって以来、私は懸垂下降時には2重にも3重にも4重にも注意をする習慣が身に付きました。

 ヒューマンエラーは必ず起きる。だからこそ、ダブルの安全確保が必要。わかり切っていることを確実にやる習慣こそが身を守る秘訣なのかもしれません。


 3分ほどの映像です。プラナンのクリスマスの夜。そして、タイワンドウォールのクライミングと懸垂下降のシーンも見れます。
https://www.originalcv.com/climbing/1606videoWorks/aWork/index.php?wnum=4

No. 175 2018-03-01 [撮影四方山話] Clothing is optional.

 オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。

 春。この響きが魅力的です。

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<目次>
1.[撮影四方山話] Clothing is optional.
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「Climbing and Diving in Thailand」(後編)
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1.[撮影四方山話] Clothing is optional.

 前回に引き続き、タイ・プラナンの話から進めます。
 20年前のタイ・プラナンは、現在ほど豪華なバンガローが多数乱立していたわけではなく、質素なバンガローの数が両手で指折って数えてもまだ余るぐらいのものでした。今では信じられないでしょうが、貸しテントがたくさん張っているような状態でした。ということは観光客全体でみても、20年前の数は現在の十分の一以下だったのではないかと思います。

 また、ここに訪れる一般観光客とクライマーの比率は現在は7対3ぐらいだと思いますが、20年前ではこの比率は逆転していて、3対7ぐらいでした。つまり、圧倒的に一般観光客が少なかったのです。

 では、オーバーハングの岩場に囲まれたビーチで、クライマーでない一般観光客とはどのような人達だったかというと、もちろん暖かい南国で余生を過ごしたいという年配の方もいらっしゃいましたが、なんと、ヨーロッパから来た若いヌーディストもあちらこちらで見かけました。

 最初、私はヌーディストを発見したとき、面食らいました。また、依りによってビーチで彼女らとすれ違うこともあったのですが、動揺しました。彼女らは堂々としていますが、こちらは上を向いたり、下を向いたり、目線のやり場に困り、別に悪いことをしているわけではないのですが、気持ち的に恥じ入ってしまいます。堂々としている人間の方が明らかに強い。「負けたー」という感じです。

 その後、私は地中海沿岸を点々と旅したとき、人の少ないビーチや有料のプライベートビーチでヌーディストをよく見かけましたので、ヨーロッパでは特別なことではないんだと思い、驚かなくなりました。

 そうそう、カナダ・バンクーバーのブリティッシュ・コロンビア大学の広大なキャンパスを訪れたときのことです。この大学を母校とする女性クライマーに案内してもらったのですが、ここは新渡戸稲造記念庭園もあり、天皇陛下、皇后陛下もカナダご訪問時に、ここにお立ち寄りになられたと聞きましたので、カナダでも名門大学です。

 この大学のキャンパス内にビーチがあるので、そこに行こうということになりました。ビーチに降りる細い階段のところに看板があり、次のように書かれていました。

"Clothing is Optional at Beach ahead."

「ヒロシ、この意味、わかる?」

「???」

 ビーチに降りていくと、ヌーディストがあちらこちらにいました。

 (あ、なるほど。服を着るのはオプションね。服を着ても着なくても、どちらでもよいというわけだ。)

 そして、ビーチから階段を登って帰るとき、先ほどの看板の裏に次のように書かれていました。

"Clothing is Required."

 (ここから先はちゃんと服を着て下さいよ、ということでしょう。)

 それにしても、ヨーロッパや北米のこのおおらかさに驚かされます。もし、東京大学のキャンパス内にこのようなビーチがあったとしたら、日本のマスコミからも世間からも「勉学に励まなければならない身において恥ずべき・・・」なんて袋叩きにされるのは目に見えています。

 ヨーロッパや北米では太陽光の強度は弱く、日照時間も少ない。だから、全身で太陽の光を浴びたいということが背景にあるのかもしれませんが、ヨーロッパ・北米とアジアの間にはっきりとした文化の違いがあるとつくづく思います。


2.先月のイチオシ!! ビデオ作品

作品名 「Climbing and Diving in Thailand」(後編)
制作 末次浩
時間 44分

 「この世ハ夢のごとくに候」 (足利尊氏が清水寺に奉納した願文の冒頭)

 まるで夢のようだったタイ・プラナンの一週間は瞬く間に過ぎていきました。この旅に残された時間はあと3日。最終日はプーケットから飛行機に乗って帰りますので、実質残された時間はあと2日。この2日間をダイビングの拠点として有名なピーピー島で過ごすことにしました。

 プーケットから多くの観光客を乗せた大型ボートがライレイビーチに立ち寄りました。私たちもここで乗船。一時間ほどでピーピー島に到着しました。乗船中、嫌な予感がしてたのです。

 これだけ多くの観光客がいるということはこの観光客を泊めるだけの施設が必要になるということ。つまり、それだけ多くのバンガローやホテルはこれから到着する小さな島にあるのでしょうか。

 大型ボートがピーピー島の桟橋に到着すると、私も含めて観光客は一斉に走り出しました。Aさんは桟橋で私たちの荷物の見張り。私がバンガローの予約という段取りです。
 まずは正面の細い道の両側にバンガローが密集していますので、片っ端からバンガローの受付に飛び込んで行きました。

 フル(満室)、フル、フル、フル、フル、・・・。ひとつも空いていません。

 一旦、桟橋に戻って、Aさんに状況を説明すると、

 「空いてなければ、このビーチで星でも見ながら寝ればいいよ。」

 今度は右方面に向かい、バンガローの空き部屋を捜しに行きましたが、こちらもダメ。また、桟橋に戻って、最後に左方面へ向かいました。こちらはバンガローはあまり無く、民家が多くあるようなところでした。

 ハ~ッ、空いているバンガローはひとつもないと落胆していたら、後ろから声がかかりました。

 「あんた、部屋を捜してるんだろ。この部屋が空いてるから、ここで良ければ泊っていけばいい。」

 民家のおじさんがこちらを見て、ニッコリと笑っているんです。

 それにしても悟り人Aさんの「どうにかなるよ」という言葉通り、必死にもがいていればどうにかなってるんです。必死にもがかなければどうにもなりませんけど・・・。

 その間、Aさんはビーチで何をしていたかというと、現地の女の子を掴まえてはツーショットで写真を撮ってたんです。もう・・・。

 宿泊できる部屋が決まり、一安心したところで、二人して賑やかな通りにくり出したところ、バッタリと若い日本人女性Bさんに出会いました。多分、この時この瞬間、ピーピー島にいる日本人はこの三人だけだったと思います。Bさんはここでスクーバダイビングのインストラクターをやっているということでした。Bさんは久しぶりに使える日本語が嬉しかったのでしょう。三人の中で話しは盛り上がりました。

Bさん 「折角、美しいダイビング・スポットのあるこのピーピー島に来たんだったら、スクーバダイビングをしていけば・・・」

私 「スクーバダイビングしたことないんだけど。」

Aさん 「俺はPADIのオープンウォーターのライセンスを持ってるよ。」

Bさん 「それじゃ決まりね。Aさんはライセンスありで問題なし。末次さんは”体験ダイビング”をしていけばいいのよ。」

 トントン拍子でことが決まり、小さなボートに乗って波の穏やかな入り江に入り、停泊しました。アクアラングなど一式の装備を付けて三人とも海に飛び込みました。もちろん、Bさんのコントロールの下で潜ります。AさんはBさんから10メートル以上は離れない。私は常にBさんと一緒に行動する。

 ところで、ライセンスを取得している人のダイビングと”体験ダイビング”では何が違うかというと、潜るということに関してはまったく同じ。予め潜ることに対してどれだけ心の準備をして来たかということが違うのです。はっきり言えば、”体験ダイビング”とは心の準備をしていない人を強引に潜らせるということなんです。

Bさん 「ハイ、これがマスククリアね。わかる。ハイ、では潜って・・・。」

私 「・・・」

 Bさんは私が装着しているアクアラングの首根っこのところをいきなり掴み、私を海底に引き込もうとしました。もちろん、潜ることが目的なのですから、その行為は当然のことなんですが・・・。

 でも、数メートルも潜らないうちに、私は前頭部がガンガンに痛くなりました。耳抜きが出来てないんです。深く潜れば潜るほど痛みが増します。痛みに耐えられなくなって、Bさんに水面に上がりたいと伝えたいのですが、レギュレータのマウスピースを口に加えていますので話しが出来るわけではありません。身振りで上がりたいとポーズを作ろうとしますが、Bさんには伝わりません。

 一方、Bさんはこの美しい海のサンゴやお魚を見せたいと一生懸命、私を深く潜らせようととします。彼女の小さな体でどうしてそんな強い力があるのかと思えるほど私の首根っこを掴んでグイグイと引き込んでいくのです。

 こちらは手足をバタバタさせて、「サンゴや魚なんてどうでもいいから、水面に上がりたい。助けてくれ~」って叫んでるんですが・・・。

 つまり、これは市中引き回しの刑ならぬ、海中引き回しの刑だったのです、私にとっては。

 海から上がってボートに乗り込むと、Aさんはニタニタと笑ってました。私がこのようになると初めからわかっていたのかも・・・。クソーッ。

No. 174 2018-02-01 [撮影四方山話] タイ・プラナン

 オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。

 寒いです。皆さん、お体にお気をつけて。

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<目次>
1.[撮影四方山話] タイ・プラナン
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「Climbing and Diving in Thailand」(前編)
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1.[撮影四方山話] タイ・プラナン

 前回、前々回の記事が好評のようなので、しばらくこの路線で書いてみたいと思います。

 2度の旅行会社によるトレッキングツアーに参加した後、もう旅行会社に依存する旅は卒業かなと思いました。下手なリにも片言の英語が話せないわけではないので、後は自分で企画して仲間たちとの旅を切り開いていけばいいわけです。

 そして、山歩きのトレッキングも卒業して、これからは岩登りのクライミングの話になります。

 次に目指すはタイのプラナンでした。ここの岩質は石灰岩になります。

 クライマーに岩質の話をすると、それだけでそのエリアがどのような形状であるのか、すぐにわかります。ここら辺のニュアンスが一般の人達とかなりかけ離れているわけで、このギャップを多少なりとも埋めておかなければなりません。

 日本で石灰岩というとまず、鍾乳洞を思い起こすのではないでしょうか。
 天井からつらら状に伸びて来る石をつらら石といい、その真下で地上からニョキニョキと伸びて来る石を石筍と言います。

 さて、タイ・プラナンではこれが洞窟の中ではなく、海岸の岩壁で起こるのです。亜熱帯の雨の多いこの地域ではつらら石が化け物のように大きくなり、石筍は海で洗われますのでそこに何も残りません。

 つまり、高さ100メートル以上、長さ数キロメートルにわたる東西の海岸線に巨大なつらら石が延々と続いているのです。

 その少し南に小さな石灰岩の島があると想像して下さい。海岸線と島の間に洲ができ、それが次第に大きくなって陸地となり平坦な砂浜が出来ます。そして、島が岬となって、小さな半島の完成です。

 その半島全体をプラナンと言い、平坦な砂浜をライレイと言っています。このライレイに掘っ立て小屋を作って住み始めたのがクライマーなのです。

 ところがそのライレイに行くためには海岸線が岩壁で道路を作ることができませんので、ボートで行くしかないのです。東の町クラビからは40分、西の町アオナンからは10分ほどの船旅です。

 現在のように開発が進んでいなかった当時は本当に自然の美しいところでした。

 朝は東の海から陽が昇り、夕方は西の海に陽が沈みます。海はエメラルドグリーンで澄んでおり、サンゴがいっぱいでした。潜るとクマノミに到るところで出会いました。ガラパゴス諸島で見るような大きなトカゲもときどき出て来ますし、サルもいっぱいいます。

 クライミング最高! ダイビング最高! 食事は安くてうまい。 タイ・マッサージに行って1時間もんでもらっても料金は800円。こんな世界、どこにあります。これをパラダイスと言わずして何と言うのでしょう。


2.先月のイチオシ!! ビデオ作品

作品名 「Climbing and Diving in Thailand」(前編)
制作 末次浩
時間 44分

 1998年当時はまだインターネットの黎明期。タイ・プラナンの情報を検索しても何も出て来ません。私たちが行こうとしているところは辺鄙なところなので、「地球の歩き方」に載っているわけでもないのです。

 ある情報と言えば、タイ・プラナンに行ったことがあるというクライマーの話とその人からコピーしてもらった数枚の紙の情報だけ。

 事前に宿泊先を予約出来るはずもなく、すべては現地についてからの交渉次第。ワイルド、そして、いかにもワイルドそのものなのです。

 今回の旅はAさんと私の二人だけ。

 当初はインドを一人で放浪していたという旅慣れたBさんと二人で行く予定でした。そこに年配のAさんも行きたいというのでメンバーに加わりました。ところが、出発前にBさんが怪我をして行けなくなり、再び二人になったのです。

 旅に不慣れな二人だけでは不安でしたが、Aさんの行きたいという強い意志で、この旅が実現することになったのです。

 それはそれはあまりにも珍道中過ぎて、一生、私の記憶から消えることはないでしょう。つまり、これによって本当の旅の醍醐味を知ることになったのです。

 成田を出発して飛行機の中でたらふくビールを飲んだ後、夕方5時頃にタイ・プーケットに到着しました。空港のロビーを出て、すぐにアオナンまで行ける白タクを捜すのですが、これも交渉事。

 決まった値段があるようで無いのと同じ。安さと安全さのシーソーゲームをドライバーの目や仕草で信用できるかどうか判断します。そして、ドライバーを決めて、いざ出発。

 情報によるとアオナンまで2時間ほど。白タクに乗ったのは陽が暮れる頃。街中を抜けて、周りがヤシの木のジャングルのようなところをひた走ります。そして、陽が完全に沈んで真っ暗となった中でも車は暗闇を突っ切って延々と進んで行くのです。

 ”このドライバー、本当に無事に連れて行ってくれるのだろうか。もし、こんなところで降ろされでもしたら、決して生きて帰ることなんてできない。”

 Aさんも私と同じようなことを考えていたようで、二人でビビッていたのです。

 2時間後、真っ暗な暗闇の中から、突如、ネオンが輝く街に入りました。
 アオナンに到着です。でも、これで終わったわけではありません。泊ることの出来るバンガローを捜さないといけないのですが、私たちには何もわかりません。ドライバーに頼んで、捜してもらうことにしました。

 1軒目、2軒目、3軒目・・・。クリスマス前のこの時期、一番混む頃なのでどこのバンガローも空いていないんです。ドライバーの機転で、アオナンを諦めて、もうひとつの町クラビに行くことにしました。そして、クラビの小さなホテルに空室があることを知り、そこに漸く泊ることが出来たのです。

 次の朝、ここから船に乗ってライレイへ向かいますが、その前にライレイのバンガローの予約をどうしても取っておきたかったのです。昨日、アオナンのバンガローが泊れなかったこともありますし、ライレイに行ってからバンガローに宿泊出来ないとなればみじめ過ぎます。

 ある旅行代理店に入ると、当時日本では毒カレー事件の話題で騒がれていましたが、その容疑者の顔とそっくりなオバサンがそこに座っていました。

 「ライレイのバンガローの予約をしたいんですけど・・・。」

 面倒くさそうにこちらをじっと見て、
 「今頃来ても空いてないよ。空いてるのは1泊2000バーツのホテルだけさ。」

 「エッ。」

 紙切れの情報によると1泊600-800バーツぐらいと聞いていたので、それぐらいのお金しか持ち合わせていません。

(注: 現在、ライレイはリゾート地に変貌していますので、バンガローといえど2000バーツを下回る部屋はないと思います。1バーツ=4円程度。)

 どうしようかと悩んでいると、Aさんが来て、

 「まず、メシでも食おうや。」

 その旅行代理店から出て、コーヒーショップに入り椅子に腰かけました。
Aさんは私をなだめて、

 「末さん、どうにかなるよ。」

 私はトーンを半分上げ、声を裏返らせて
 「どうにもならないよ。」

 この瞬間、おっとりしたAさんと心配性の私の二人の名コンビが出来上がったのかもしれません。

 コーヒーショップから周りを見渡すと、他にも旅行代理店がいくつかありました。気を取り直して、もうひとつの旅行代理店に入ると、

 「ライレイのバンガローの予約をしたいんですけど・・・。」

 二つ返事で、
 「いいよ。7日間ならば1泊750バーツの部屋があるよ。」

 「はい、予約します!」

 空いてるじゃん。これまで暗かった顔が突如、満面の笑みに変わりました。滞在する予定は10日間でしたので、3日間ほど足りませんが、それは現地へ行けばなんとかなるでしょう。急に希望が湧いて来てすべてが明るく輝く世界に見えて来ました。

 人間なんて、そんなもんでしょう。ちょっとしたことで天と地の差が出てしまうんです。

 そして、ボートに40分乗って、ライレイの南にあるプラナン・ビーチに上陸しました。

 そり立つようなオーバーハング。お化けのようなコルネ(つらら石)。そして、透き通ったエメラルドグリーンの海。

 想像をはるかに超えた美しい世界がそこに展開していたのです。

 ”ここに1週間も滞在できるなんて・・・”

<< 次回につづく・・・ >>

 20年前のプラナンの映像(1分30秒ほど)。
https://www.originalcv.com/climbing/1606videoWorks/aWork/index.php?wnum=1

No. 173 2018-01-01 [撮影四方山話] パタゴニア・パイネ

 オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。

 新年、明けましておめでとうございます。本年も皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

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<目次>
1.[撮影四方山話] パタゴニア・パイネ
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「地の果て -パタゴニア・パイネ トレッ
キング-」
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1.[撮影四方山話] パタゴニア・パイネ

 前回のメルマガでキリマンジャロに関する記事の反響が大きかったですので、続けてその翌年のことについて書くことにします。

 キリマンジャロの経験は自分の見方・考え方を一新しました。それまで仕事上で世界のいろいろな地域を回っていると思っていましたが、それはあくまで都市と都市の点を結んでいることだけでした。
 地球上で起こっている大自然の100万分の1も知っているわけではないことに気付かされましたし、もっと多くの大自然に触れたいと思いました。

 そこで次に目を付けたのが、パタゴニア・パイネです。誰でもその写真を一目見たら、決して忘れないはずです。

 天に向かってニョキニョキと突き出た悪魔のような怪異な岩峰。

 赤道直下の美しい秀峰・キリマンジャロとは真逆の世界。これを見ずして何をか語らんです。

 山に詳しくない方のために、パタゴニアについて少し説明しましょう。

 パタゴニアは南アメリカ大陸の南端にあります。南アメリカ大陸の西側には北から南にアンデス山脈が続いていますが、それが途切れたところ辺りから南の地域を指します。

 国としてはアルゼンチンとチリにまたがりますが、ニュージーランドよりも緯度が高く、南極大陸に最も近い地域です。

 パイネ山群はそのパタゴニアの中でも、より南に位置しています。怪異に乱立する岩峰の中でも、パイネ・グランデ(3,050m)、パイネ・クエルノ(2,100m)、3本のパイネ・タワー(2,500m, 2,460m, 2,260m)が中心となります。

 特に、パイネの角と呼ばれるパイネ・クエルノの地層ははっきりと3段に分かれ、下層が黒色、中層がクリーム色、上層が黒色となり、その角の形状と相まって悪魔のように感じます。

 そして、このパタゴニアの自然を代表するものと言えば、烈風と呼んでいいのでしょうか、強烈な偏西風です。アンデス山脈に遮られた偏西風は南に下ってこの地域を通り抜けますから、西から東に向かって一方的に吹きます。

 木々の枝は常に西から東に向かって風を浴びていますので、まっすぐに伸びることはなく、西から東に曲がって伸びるのです。ですから、風が一瞬止んでも曲がった枝の状態は変わりません。それほど強烈なのです。

 また、雲がちぎれるように激しく流れますので、天候は不安定でコロコロと変わります。まず一日中晴れていることなど期待しない方が無難です。

 さて、そのトレッキングの模様を次に紹介しましょう。


2.先月のイチオシ!! ビデオ作品

作品名 「地の果て -パタゴニア・パイネ トレッキング-」
制作 末次浩
時間 39分

 1997年12月24日 成田空港の集合場所に着き、他のツアー参加者と初めて対面しました。昨年、キリマンジャロでお世話になった同じ旅行会社のツアーに申し込んでいたのです。そのとき、

 ”しまった。場違いのところに来てしまった。”

と後悔しました。

 ツアー参加者の8割は女性。それも皆さん、私よりもご高齢な方たちばかり。昨年は全員が強者の男性登山者ばかりだったのに、この違いは何?

 そうやって、このトレッキングのツアーが始まったのです。

 今はもう無くなってしまったヴァリグ・ブラジル航空に乗りました。

 成田 → 米国・ロサンゼルス → ブラジル・サンパウロ → チリ・サンチャゴ。
そこで1泊し、ローカル線に乗り換えて、サンチャゴ → プンタ・アレーナス。

 フライト時間だけでまるまる24時間は乗っていたと思います。何と遠いところか。本当に、日本から見れば、「地の果て」です。

 時間はたっぷりとありますので、他の参加者の方たちと話をしますと、
 「ヨーロッパ・アルプス、ヒマラヤ、カナディアン・ロッキーのトレッキング・ツアーには何度も参加したのよ。もう行くところがなくなったのよね。だから、このツアーに参加したというわけ。今回は珍しい高山植物が楽しみかな。」
ってな感じです。

 つまり、皆さん、お金も時間もたっぷりとある海外トレッキング熟練者ばかりだったのです。それはそれですごいなーと敬服しました。

12月28日 プンタアレーナス → 公園管理事務所

 最南の町 プンタアレーナスの空港に降り立つと、その寒さに身震いしました。こちらは南半球なので、今は真夏のはず。それなのに、この寒さ。セーターをもう一枚追加しないといけないかな。

 チャーターしていたミニバスに乗り込み出発。パナマ運河が開通するまでは船の往来が頻繁だったというマゼラン海峡を見ながら、進んで行きました。

 ダチョウ、マゼランペンギン、コンドル、グアナコなどの動物たちに出会いながらパイネ国立公園の公園管理事務所に到達。とうとうパイネ山群の山容が姿を現しました。

12月29日 公園管理事務所 → ペオエ湖畔

 トレッキング開始。これから先はバンガローのような宿泊施設はないので、すべてテント泊まりとなります。テント、食料などの運搬は現地ポーター6-7人で10頭ほどの馬で運びました。

 トレッキングが目的で来ているので、歩くのは仕方がないのですが、彼らと同じように馬に乗っていけば、なんと楽なことか・・・。

 私は雄大な山容を見ながら草原を歩いていましたが、女性陣は「ここにもある、あそこにもある」と珍しい高山植物に歓喜。私には名前のわからないものばかりでしたが、黄色い袋を持った”レディーススリッパ”と、せせらぎのそばにたたずむ”小川の涙”という赤い花の名前を教えていただきました。ロマンチックです。

 私は上を、彼女らは下を見ながら歩くという構図。興味の対象が違うんです。

 言うまでもなく、この草原には始終、強烈な風が吹き荒れていました。

12月30日 ペオエ湖畔 → グレイ湖畔

 グレイ川をたどりながら登っていき、グレイ湖全体が見える高台に立つと誰もが「すごい」と叫んでいました。

 グレイ湖には直径10-30mぐらいはあろうかという巨大な氷塊が無数に浮かんでいたのです。

 そして、さらに進んで行くとグレイ氷河が現れました。氷河というよりも氷原と言った方がよいのかもしれません。はるか向かうに見える地平線上の山と山の鞍部から壮大なスケールで流れて来るのです。

 そして、その末端がグレイ湖に入るとグレイ氷河の氷塊が崩れてグレイ湖に浮かぶのです。氷塊が崩れる頻度は1時間に1回程度。それが崩れるとき震度3程度の地響きがします。

 その夜、グレイ湖畔に泊りましたが、真っ暗なテントの中で1時間置きにドーン、ドーンと鳴り響く音と振動に心安らかにしていろと言う方が無理な話しです。

12月31日 グレイ湖畔 → フランセス谷

 フランセス谷はパイネ・グランデ(3,050m)とパイネ・クエルノ(2,100m)の間にあります。いよいよパイネ山群の核心に入って来ました。明日はこのフランセス谷を登り、パイネの懐と言える円形劇場に到達するこのトレッキング最大の山場です。

 その前に、祝杯をやろうというのです。ポーター達はこの日を楽しみにしていたようです。日本ではありえませんが、国立公園内にあるそこら辺の木を切ってきて、きれいにナイフで削って丸焼きのセットを作りました。そして、持ってきた巨大な肉の塊を串刺しにして焚き木の上で丸焼きをしました。大量のワインももちろんありました。言うまでもなく美味なチリ・ワイン。

 現地ガイドのAさんは私に「美味しいものを食べさせてあげるよ」と言ってたまねぎ1個を持って来ました。

 なんということはなく、彼はそれをそのまま焚き木の中に放り込んだのです。しばらくして、真っ黒に焼けたたまねぎを取り出しました。その焦げた周りの皮を器用に剥いて、中の白い実を取り出して「食べろ」と言います。

 食べてみると、とろけるように甘くて美味しいのです。山の中で食べるものは何でも美味しいといいますが、これもそのひとつでしょうか。

1月1日 フランセス谷 → 円形劇場

 朝から清々しい穏やかな天気。フランセス谷を登り始めると、珍しいことに普段、馬にばかり乗って歩くことがないポーター達も歩いて登って来ました。

 「こんなに穏やかで素晴らしい天気はパイネではめったにない。自分も一目、円形劇場の中を見たい。」というのです。

 パイネは青という意味です。緯度が高い地域の空の色は青の中でも深い青です。紺碧。
 左手に見えるパイネ・グランデの山の上に、そのパイネの色がありました。

 珍しく風が吹かない静寂な世界の中で、パイネ・グランデの山の中からカランコロンと落石の音がこだまします。その瞬間、雪崩が発生し、岩壁を滝のように流れていきます。雄大そのもの。

 そして、とうとう円形劇場の中に入って来ました。ぐるっと回りを見渡すと巨大な岩峰が何本もそそりたっています。どうやったらこのようなものが出来上がるのでしょうか。

 パイネの空の下に、その全容を見せて下さった神様に感謝しないわけにはいきませんでした。

 円形劇場の中を撮影した2分ほどの映像があります。
https://www.originalcv.com/climbing/1606videoWorks/aWork/index.php?wnum=74
 当時のビデオカメラはアナログのHi8。現在の4K、8Kと言われるビデオカメラで撮影できていればなあ・・・。

No. 172 2017-12-01 [撮影四方山話] たかが・・・されど・・・

 オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。

 北西風が響灘に白波を立てます。九州と言えど寒いです。

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<目次>
1.[撮影四方山話] たかが・・・されど・・・
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「KILIMANJARO」
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1.[撮影四方山話] たかが・・・されど・・・

 メールマガジンNo.167 <2017/7/1>に、「新たな日課」として、近くの公園のゴミ拾いを始めた記事を書きました。その後の経過です。

 ゴミ拾いを始めた当初はゴミを拾っても、ゴミを拾っても毎日のようにゴミが捨てられていました。

 何の因果で始めたゴミ拾いかわかりませんが、こう毎日続くとウンザリします。これも自分の業の深さがなせるものと半ば諦め、一生続けなければと覚悟しました。

 ところが、2か月ほど経つと、ゴミを拾うペースが2-3日に一度ぐらいに減って来たのです。

 さらに2か月ほど経つと、ゴミを拾うペースが4-5日に一度に減りました。

 そして、最近はゴミを拾うペースは1週間に一度ぐらいなのです。

 なんで???

 いやいや、ゴミを捨てて欲しいと言ってるわけでは無いのです。現状通り、ゴミを捨てないことを続けて欲しいのですが、これまでゴミを捨てていた人は、なぜ、捨てなくなったのだろう?

 これも集団心理というものなのでしょうか。

 何かわかったような、わからないような・・・。

 たかがゴミ拾い、されどゴミ拾い。社会学の実験をする結果になったとは・・・。


2.先月のイチオシ!! ビデオ作品

作品名 「KILIMANJARO」
制作 末次浩
時間 26分

 表彰状とか、感謝状などというものに全く縁の無い私ですが、ひとつだけ額に入れて飾っているものがあります。

"This is to Certify that Mr. HIROSHI SUETSUGU has successfully climbed Mount Kilimanjaro, the highest peak in Africa, right to the Summit - Uhuru Peak - 5895m.
Date 4/1/1997 Time 8:50 AM"

 20年前にもらった、ありがたいとも思えなかった紙切れが、今、こんなに大切になるとは・・・。

 この登頂を境にして、私の人生は大きく変わっていくのですが、未だに、なぜ、その時、キリマンジャロ登山を思いついたのか、わかりません。パッと閃いたというしかないんです。

 それまで、海外の山など一度も登ったことはありませんし、それよりも、会社のお金ではなく、自分の懐のお金を使って、初めて出かけた海外の旅なのです。まあ、思い切ったというか・・・。

12月29日 成田発。エア・インディアでインドのムンバイへ向かう。

12月30日 インド・ムンバイ着。大阪発の参加者と合流。旅行会社が企画したこのツアーの全員14名が揃う。すべて男性。かなり登り込んでいると思われる連中ばかり。

12月31日 インド・ムンバイ発、ケニア・ナイロビに到着。ミニバスに乗って、国境を越え、タンザニアへ。国境付近にはマサイ族がたむろしていた。
 キリマンジャロ山麓アルーシャ国立公園内のモメラロッジ泊。本当に美しいところ。

1月1日 モメラロッジ発、ミニバスにて、マラングゲート(標高1550m)に到着。 
 現地ガイド4人、ポーター約50名ほど雇って、いよいよ登山開始。
約4時間歩いて、マンダラハット(標高2727m)に到着。標高的には八ヶ岳に登っている感覚。

1月2日 マンダラハット発、ホロンボハット(標高3780m)着。
 キリマンジャロの裾野を歩いているので、急登はなく、だらだらと平坦な道を歩いている感じ。私はここに来るまで、トレーニングらしいことはほとんどやっていないので、出来る限りゆっくりと歩いて、体をなじませようとした。標高的には富士山山頂。

 ここでもう1日停滞して高度順応をすれば、登頂率は80%を越えると聞いた。しかし、私たちのツアーは最短日程で登頂する企画。それでも11日間はかかる。会社をそれ以上長くは休めないのだ。高山病にかかることは覚悟の上で参加しているのである。

1月3日 ホロンボハット発、キボハット(標高4703m)着。
 植物限界を越えて、砂礫帯に入って来た。標高4200m辺りから頭痛が始まり吐き気を催して来た。高山病の始まりだ。しかし、意識して深呼吸をすれば気分の悪さが幾分弱まった。

 キボハットに着くと、参加者2人が真っ青な顔をしていた。ガモウバッグに入れて臨時の処置をしたが、2人はこれ以上登ることを禁じられた。

 明日は午前1時に出発。それまで仮眠なのだが、寝付けない。
 ウトウトして来ると、呼吸が浅くなり、気分が悪くなって目覚めてしまう。そこで、深呼吸をすると回復するのだが、またウトウトすると呼吸が浅くなり、気分が悪くなる。この繰り返しだ。

1月4日 キボハット発、キリマンジャロ登頂
 キリマンジャロは富士山と同じ火山である。まず火口であるお鉢のところまで登り(ギルマンズ・ポイント 標高5690m)、それからお鉢を回って最高点(ウフル・ピーク 標高5895m)に到達する。

 午前1時出発。氷点下なので冬用の衣服に着替えている。
 出発前に通達があり、ギルマンズ・ポイントを7時30分までに通過しなければ先には進めないと決められた。

 昨日まではハイキングと同じで、最後尾辺りをのんびり歩いていた。しかし、今日は明らかに登山であり、この1日だけが勝負なのだ。先頭を行くガイドのすぐ後ろ2-3番手から遅れないようにした。

 マラソンレースや自転車レースと同じで、第1グループに残った者だけが、ウフル・ピークにまで達することが出来ると思ったから。

 途中のハンス・メイヤーズ・ケーブに到達すると、参加者の1人が吐いてうずくまってしまった。彼は昨年も参加したのだが、ギルマンズ・ポイントにまでしか行けなかったので、今年はぜひともウフル・ピークに達したいと言っていたのに・・・。

 先頭のガイドの歩行ペースはほぼ一定であるが、時々、速くなる。
その時に、列が延びてグループに分かれてしまう。第1グループ、第2グループ、第3グループ・・・。その差は高度が上がるほど広がっていった。

 私は第1グループから落ちこぼれないように必死に登っていた。

 頭はガンガンと痛いし、吐き気は止まらない。それよりも何よりも心臓の動悸がすごいのだ。心臓が喉から飛び出してしまうような、いや、破裂してしまうのではないかと思えるほど、体全体がひとつの心臓になったような感覚なのだ。

 そして、とうとうギルマンズ・ポイントに到着したとき、第1グループに残っていたのは4人だけだった。第2グループは見えないほどにはるか後方だった。

 10分程休んで、第1グループだけで、火口のお鉢を回ってウフル・ピークに向かった。

 私は千鳥足状態で真っ直ぐに歩けなかった。ほんのちょっとなのになんと遠いことか・・・。左手には壮大なディケン氷河の氷壁が見える。そして、見渡すはるか下方には延々とサバンナが続いている。

 ここは赤道直下なのだ。ここに来た人だけにしかわからない天国の憧憬だった。 


 ギルマンズ・ポイントからウフル・ピークで撮影した2分ほどの映像です。ボロボロだけど、私にとっては宝です。
https://www.originalcv.com/climbing/1606videoWorks/aWork/index.php?wnum=73

No. 171 2017-11-01 [撮影四方山話] 「末*」という名

 オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。

 ”希望”は人間の典型的な妄想。最大の強さであり、弱さの源でもある。
(Hope, it is the quintessetial human delusion, simultaneously the source of your greatest strength, and your greatest weakness.)
--- 映画『マトリックス リローディッド』より

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<目次>
1.[撮影四方山話] 「末*」という名
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「(仮称)糸島のお土産」(未完成)
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1.[撮影四方山話] 「末*」という名

 私の小中高校のときの朝のホームルームの出欠シーンです。
 「安倍君」、「はい」 ・・・
 「小池さん」、「はい」 ・・・

 そして、さ行に入り、「す」の欄になると、

 「末田さん」、「はい」
 「末次くん」、「はい」
 「末永さん」、「はい」
 「末松さん」、「はい」
 「末光さん」、「はい」
 「末吉さん」、「はい」 ・・・

 やたらと「末」の付く名字が多かったのです。

 その後、就職して関東方面に行くと、「末」の付く名字の方にあまり出会いません。たまに、出会って、出身地を伺ってみると九州北部という方がほとんどでした。

 こうなると「末」という文字の起点になるものが九州北部にあるに違いないのです。

 例えば、藤原氏が京から下向し、伊勢に行くと伊藤氏、近江に行くと近藤氏、加賀に行くと加藤氏となります。「藤」という名を一字残しながら出自の高貴さを物語っていると言えます。

 では、それと同じようなことが「末」という文字に対して言えるのどうかが問題です。

 そこで、以前から目を付けていたのが魏志倭人伝にある「末盧国」です。

 末盧国の出身者が他国に移住するとき、「末」という一字を取って名字を名乗ったのではないかと・・・。そして、「末」という一字を残すだけの何かしら誇れるような理由がそこにあったのではないかと・・・。

 では、末盧国とはどのような国なのでしょうか。

 末盧国は魏志倭人伝の中で、邪馬台国へ行くまでの途中の国として記録されています。

 帯方郡 → 狗邪韓国 → 対馬国 → 一支国 → 末盧国 →伊都国 → 奴国 → 不弥国 → 投馬国 → 邪馬台国

 4番目の一支国の一支は「いき」と読み、現在の壱岐です。そして、5番目の末盧国の末盧は「まつら」と読み、松浦のことです。

 松浦は現在、長崎県松浦市、北松浦郡、南松浦郡、そして、佐賀県東松浦郡、西松浦郡にまたがる広い地域です。

 ここは言うまでもなく、日本本島の最西端。地形的には山が海岸まで迫っていて、米が豊富に取れるような広い平野はありません。一方、鷹島などの島々に囲まれた伊万里湾があり、天然の良港ですので、自然と水稲耕作よりも漁猟の方が盛んだったでしょう。

 それよりも何よりも、ここは朝鮮半島に一番近く、当時の倭の交易の玄関口です。ここから三韓や中国の各地に出かけて行ったに違いないのです。

 それはあたかもギリシャ人がエーゲ海を、フェニキア人が地中海を海の民として駆け回ったように、末盧(松浦)の人々も日本海、黄海、東シナ海を駆け回っていたのではないでしょうか。

 その海の民としてのプライドが、末盧国出身者に「末」という一字をその名字に残させた理由ではないかと思うのです。

 それをどのように証明するかということは難しいことですが、名字がそのまま地名になるという慣習もありますので、古い地図を出して来て松浦市を円の中心に置き、その円を徐々に外に広げるようにして、「末」の名の付く地名を捜していけば、何かしらの手がかりが見つかるのではないかと思いました。

 これを思いついた当時、平成の大合併で地名はどんどん変わっていくし、古い地図を引っ張り出して来るのも面倒なので、そのまま放置しているうちにトンと忘れていたのでした。


2.先月のイチオシ!! ビデオ作品

作品名 「(仮称)糸島のお土産」(未完成)
制作 オリジナル・シー・ヴイ
撮影 5分

 朝7時過ぎ、ピックアップにいらして下さった車に乗り込みました。私が最後ですので、参加者5人全員揃い踏みです。

 「おはようございます。あいにくの雨ですね。」

 この日は九重に山登りに行くことになっていたのですが、天気は雨。宿泊先のコテージはすでに予約しているので、キャンセルするわけにもいきません。

 このような時、5人の中には暗黙の了解が出来ていて、ドライバーのAさんにその日の行き先を一任しているのです。Aさんが機転を利かせ、山登りから観光モードに切り替えて、どこかに連れて行って下さるというわけ。

 行く先はAさんの頭の中にだけあり、同乗している4人にはわかりません。

 さて、本日はどこへ行くのでしょうか?

 北九州都市高速に乗り、その後、九州自動車に乗り継いで西へ。さらに、福岡都市高速に入って行きました。西へ西へと進みます。九重は南にあるんですけど・・・。

 いよいよ海岸線に出て来ました。右手に博多湾があり、能古島が間近に見えます。そして、左手は背振山地の山並みが連なっています。

 元寇防塁の史跡を越え、生の松原を通り過ぎました。松林の海岸線がなんとも美しい。

 そして、とうとうたどり着いた先は、伊都国歴史博物館!

 田んぼの真ん中にドンとある感じ。瑞梅寺川と雷山川に挟まれた実り多き水田地帯の中です。
 博物館の中は立派な展示室になっていて、説明員の方が懇切丁寧に案内して下さりました。

 まず、地区全体を知るために、この地区の地形モデルがあるところへ行き、それを指さしながらの説明です。

 「ここが三雲(みくも)・井原(いわら)遺跡です。伊都国の中心と考えられるところです。そして、ここが平原(ひらばる)遺跡です。日本最大の直径46.5cmの銅鏡が出たところです。・・・

 ここら辺一帯を伊都国と呼び、そして、その北側のこちら一帯を志摩国と呼びます。伊都と志摩ですので、現在はその漢字を置き換えて、福岡県糸島郡と言ってるんです。」

 「あっ、なるほど。」

 この伊都国の地図をじっと見ていると、あるところで目が釘付けになりました。末永という地名があるのです。
 そして、今度は志摩国の地図を見ていると、末松という地名を見つけました。

 「末」の名の付く地名が近くに2箇所もあるのです。松浦市からは直線で約50kmの距離です。

 これはひょっとして・・・。

 帰宅した後、早速、父が使っていた昭和50年代の地図帳を引っ張り出して来て、松浦市を中心に「末」の付く地名がないかを捜し始めました。

 世の中、そんなに甘くはないので、なかなか簡単に見つけられませんが・・・。

 あった! 佐賀県佐賀市の佐賀大学の西に末広、そして、南東に末次という地名があります。ここも松浦市からは直線で約50kmの距離です。

 さらに、あった! 福岡県小郡市の西鉄大牟田線の端間駅と鰺坂駅の間の東にも末次という地名があります。ここは松浦市からは直線で約70kmの距離です。

 なんと、このふたつの末次を直線で結ぶとその真ん中辺りに、邪馬台国の遺跡ではないかと空前の一大ブームになり、全国から100万人以上の歴史ファンが訪れた吉野ケ里遺跡があるのです。

 卑弥呼と末次に何らかの繋がりがあるのでしょうか?

 そして、九州全県と山口県を調べますと、「末」の名の付く地名は全部で23か所ありました。

 その内、海岸線から5km以内にあるところが13か所、そして、川を河口から遡航して行けるところが5か所でした。

 つまり、船を使えば容易にたどり着くところが約80%なのです。

 これはギリシャ人やフェニキア人が海岸線沿いの各地に植民都市を建設していった構図と変わらないのではないでしょうか。

 いよいよ、「末」の名字をもつ人々が末盧国出身者であるという確信が深まって来ました。

No. 170 2017-10-01 [撮影四方山話] 豊前・宇都宮氏

 オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。

 秋分の日の夜明け前、獅子座は東の地平線に、オリオン座は南の上空に輝きました。
 エジプト・ギザのスフィンクスとピラミッド。それらが暗示する時期と合致しているのならば、Xデーは近い?

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<目次>
1.[撮影四方山話] 豊前・宇都宮氏
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「民宿『***』」(未完成)
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1.[撮影四方山話] 豊前・宇都宮氏

 1185年、壇ノ浦の戦いで、平氏が滅亡した後、源頼朝は諸国に守護・地頭を置きました。

 特に、九州は平氏の力が強かったところですので、有力御家人として筑前に武藤氏、豊後に大友氏、薩摩に島津氏を守護として配置しました。

 と同時に、宇都宮大明神(二荒山神社)の座主を務めたこともあり、頼朝に信望の篤かった宇都宮氏(初代、宇都宮信房)を豊前の地頭として派遣しました。

 それ以降、宇都宮氏は鎌倉、南北朝、室町の各時代を通して、民心を掌握し、豊前に根を張った活動を続けました。

 そして、戦国時代。豊臣秀吉は九州平定に乗り出し、豊前に黒田如水・長政の親子を送り出しました。如水は降伏を促す文書を国人(在地領主)に向けて通達し、降伏しない国人は巨大な遠征軍の圧倒的なパワーでねじ伏せました。

 一旦は平定したかに見えた豊前ですが、太閤検地が始まると国人が蜂起。国人一揆が勃発しました。それもそのはず、太閤検地とは土地所有の領地権を国人から奪い、全国規模で直接に管理するのが狙いだからです。

 このとき、豊前で最大の国人・宇都宮鎮房は黒田長政と直接対決することになりました。

 初戦の岩丸山合戦では黒田長政は九死に一生を得る大敗北。なんとか城井谷の西側の尾根に向城を構築し、宇都宮鎮房の動きを封じました。

 黒田長政は宇都宮鎮房を牽制しながら、他の一揆衆の鎮圧を先に進める策に出ました。観音原合戦を制し、次々に一揆を鎮圧し、長岩城、犬丸城を落として、最後に残るは宇都宮鎮房の大平城のみ。

 ここで黒田長政は山岳戦が得意な宇都宮鎮房に真っ向勝負を挑めばたとえ制圧することが出来たとしても大きな兵力の消耗を来すと判断し、宇都宮鎮房に講和を呼びかけます。

 宇都宮鎮房はこの講和に応じ、降伏の形を取りました。嫡子・朝房と娘の鶴姫を人質として差し出し、豊前国人一揆はすべて平定されました。

 その翌年、黒田長政は宇都宮鎮房を中津城に呼び出し、酒宴の席上で謀殺。嫡子・朝房も殺され、娘・鶴姫は磔にされました。

 この謀略に、豊前の民衆は憤り、黒田氏を呪ったと言います。黒田長政が後に福岡藩主となっても、怪火や悪病が起こっては宇都宮氏のたたりのせいだとされました。

<参考文献> 松山護著「豊前・宇都宮氏」、松山護著「城井・宇都宮氏の滅亡」


2.先月のイチオシ!! ビデオ作品

作品名 「民宿『***』」(未完成)
制作 オリジナル・シー・ヴイ
撮影 5分

 今年の春先、兄夫婦から誘われました。

 「民宿『***』。泊るところは離れになっているし、とても広いわよ。パンも自作出来るし、楽しいよ。何と言っても民宿を経営してるご夫婦自ら作った野菜で食べきれないほどたくさんの料理が出るの。
 あっ、そうそう、近くにオートポリスがあるわ。」

 「何、それ。オートポリスって? 自動警察???」

 「ノンノンノンノンノーン! 鈴鹿サーキットのような九州におけるモータースポーツの聖地よ。」

 「へぇ~~~。そんじゃ、行ってみますか。」

 向かうは大分県日田市。ところが途中から急な山道になり、車がすれ違えないほど狭い道が延々と続きます。

 「本当にこんな山ん中に民宿があるの?」

 と言ってる内に少し開けた山間に出て左に曲がり、少し進むと右手にありました。主屋と離れ、それにパン工房の3棟の家が建っており、民宿を経営しているご夫婦は主屋に、私たちのような客は離れに泊ることになります。

 早速、主屋のご夫婦にあいさつに行きました。

 「今回もお世話になります。宜しくお願いします。」

 「こちらこそ。着くのが少し早かったわね。すぐにパンを自作してみる?」
と奥様から声をかけて下さったのですが、最近、大怪我をされたそうで足を引きずっているお姿が痛々しい。

 でも、背筋がピンと伸びていて立ち姿がきれいです。後で地元で発行された新聞の記事を読むと、お茶や陶芸、お謡いに弓道など多彩な趣味をもっておられ、しかもすべて師範級の腕前とか・・・。

 なんだか頷けるのです。

 「まだ着いたばかりですので、離れで少し休みます。パン工房でのパン作りは少し後で・・・。」

 その間に、私は一人で周りを散歩してみました。畑から山の傾斜部分にタラの木がたくさん植えてありました。
 後で聞くと、タラを千本も植えてるとか・・・。半端な数ではありません。

 そして、主屋の方に回り、庭を少し見させて頂いたのですが、なんだか違う・・・。垢抜けているのです。何でもかんでも木を植えて、ごちゃごちゃして作っているのではありません。

 バランス良く配置された庭石があり、その間に程よく木が育てられています。小さな庭の中に大きな広い空間を感じるのです。普通の農家とは少し違う・・・。

 その後、パン工房で奥様のパン作り教室が開かれ、私たちは自ら作った出来立てのパンを頂きました。素人が作ったとは思えないほど、ちまたの店に出してもおかしくない出来栄えです。

 陽が沈むとご夫婦は食材をもって離れの方にやって来られました。ここで奥様のご自慢の手料理が披露されました。次から次へと、工夫された美味しい手料理の皿が山のように出されます。

 それらを前にして、ご主人とはお酒を酌み交わしながら、お話しを聞かせて頂きました。

 「庭がとてもきれいですね。普通の農家とは違うような・・・。」

 「10年以上前に、北九州の門司からこちらに引っ越して来て、農業を始めたんです。この地域の皆さんには大変お世話になったので、その御恩返しと思って、少しでも多くの人にこの地域の良さを知ってもらいたいと、民宿を始めたんです。」

 私はふと、最近、父の蔵書の中から読んだ本を想い出しながら尋ねました。

 「表札を拝見すると『宇都宮』さんとなっていますが、豊前・城井谷の宇都宮氏と何か関係があるのでしょうか。」

 「ええ、そうなんです。家系図を見るとところどころ途切れていますが、先祖はそうだと言われています。」

 なんとご主人は豊前・宇都宮氏の末裔でいらしたわけです。世の中、何が起こるかわかりません。この山の中でこんな出会いがあるとは・・・。

No. 169 2017-09-01 [撮影四方山話] いつの間にか、理想の時代に

 オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。

 残暑厳しいですが、それを吹き飛ばそうと活躍する踊り子の熱気もすごいです。

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<目次>
1.[撮影四方山話] いつの間にか、理想の時代に
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「<仮称>よさこい演舞」
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1.[撮影四方山話] いつの間にか、理想の時代に

 「末次さん、埼玉でよさこい祭りに出演しますので、撮影にいらしていただけませんか。」

 「行くのはいいのですが、カメラマン一人じゃ、限界があります。私が行くよりも、皆さん、スマホなどをお持ちなので、出来る限りたくさんの方に協力して撮ってもらい、それらを送って下さい。」

と、お願いすると同時に、その映像データをイチイチ郵送していたら大変なので、インターネット上で送ることが出来るファイル転送サービスを捜してみました。

 ある、ある、いっぱいある。

 誰でもが知っているメジャーなものがよいので、最終的にGoogle Driveを利用することにしました。

 すごいですねー。いつの間にか、映像データをインターネットで転送できる時代になっていたのです。この技術進歩の速さに只々驚くばかりです。

 オリジナル・シー・ヴイを立ち上げた15年前と言えば、アナログのHi8のビデオカセットレコーダーから、miniDVテープのデジタルビデオカメラに代わったばかり。

 パッケージもVHSテープが主流で、DVDはこれからと言った感じでした。映像の圧縮技術もまだまだでした。

 一方、インターネットは黎明期。回線速度は64kbpsから128k、256kと進み、1Mbpsと聞いたときは天地がひっくり返る思いでした。当然、インターネットの動画配信はマッチ箱のような小さい映像が紙芝居程度に送れるだけでした。

 その時代に、撮影したすべての映像データをインターネット上で送るというのは夢のまた夢。
 私が生きている内に、その夢が叶うなんて考えたこともありませんでした。

 でも、現実的に夢が叶っているのです。

 その当時、インターネットが普及すると仕事の分散処理が出来るので、地方が活性化すると言われていました。ところがこの10数年はその逆で東京の一極集中が進むだけでした。

 インターネット上で映像のファイル転送が出来るようになった今、再度、インターネットを地方の活性化に役立てるサービスが出来ないかなと暗中模索中です。


2.先月のイチオシ!! ビデオ作品

作品名 「<仮称>よさこい演舞」
制作 埼玉県女性
時間 5分

 何が踊り子たちをそこまで駆り立てるのでしょうか。

 踊り子たちのほとばしるエネルギーはどこから生まれるのでしょうか。

 踊り子たちはどうやって観客を魅了させてしまうのでしょうか。

 埼玉県朝霞市で開催された彩夏祭の熱気はすごいです。そこにチーム結成して1年にも満たない<仮称>よさこい演舞が初出演しました。

 当初、私が編集の依頼を受けたとき、演舞は1回だけだと勝手に思ってました。ところが送られてきた映像を拝見しますと、ステージで6回、流し(大通りで前に進みながら踊る)で13回も踊っているのです。

 1演舞が約5分ですから、この夏の盛りに、この回数を踊るだけでも相当なエネルギーです。

 そして、メンバー構成はと言いますと、小学生から若いお姉さん、白髪交じりの親爺さんまで数家族、10数人といったところ。学校とか会社とかの団体ではなく、ファミリーであるということが最大の魅力です。

 大小の旗を振りながら、ファミリーで一生懸命踊っている姿にジーンと胸が熱くなります。

 当然、ここに参加するまで、どれほどの練習をこなして来たかもその演舞の内容を見ればわかります。

 ファミリーの笑顔、そして、チームワークの見事さ。世の中に仲の良い家族なんて思ったほどいないんです。だからこそ、彼らの演舞を見て、皆さん、うらやましがるのではないでしょうか。

 来年もまた、さらに充実して盛り上げてくれることでしょう。

No. 168 2017-08-01 [撮影四方山話] 戸畑祇園大山笠

 オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。

 7月と言えば、戸畑祇園大山笠。

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<目次>
1.[撮影四方山話] 戸畑祇園大山笠
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「平成二十九年戸畑祇園大山笠」
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1.[撮影四方山話] 戸畑祇園大山笠

 母が入居している老人ホームのフロントに、ドサッとパンフレットが積まれていました。

 ユネスコ無形文化遺産、国重要無形民俗文化財
 「戸畑祇園大山笠」

 見開きのページを開くと、戸畑祇園大山笠の行事日程が書かれており、7月1日から24日までびっちりと埋まっていました。

 「そうか、戸畑祇園大山笠の時期に入ったんだあ。小さい頃、親父に手を引かれて、花形である競演会を見に行ったなあ。もう50年以上も昔のこと・・・・。」

 うる覚えでしかないので、真偽のことはわからないのですが、父から次のように教えてもらいました。

● 提灯山笠に車輪は付いていない。よって、山笠はすべて人が肩で担いで運ぶ。(提灯山笠:提灯合計309個、高さ約10m、重さ約2.5t)

● 明治以降、電気が普及して電信柱が立ち、電線が敷設されるようになった。昔の提灯山笠はもっと大きなものがあったのだが、電線を切ってしまうというようなことがあって、高さが制限されるようになった。

● ひとつの提灯のロウソクが倒れて火が提灯に付くと、そこから延焼して次々と提灯が燃え上ってしまう。それを防ぐため、提灯山笠の中に火消し役として人が乗っていて、燃えた提灯を棒で叩き落とす。

● 昔は喧嘩山笠になって、山笠ごと燃えてしまったこともあったとか・・・。

 最後の話しはにわかに信じ難いのですが、玄界灘育ちで気性の荒い昔の人達のやること。あっても不思議ではないかも・・・。
 もし、2台の大山笠が燃えてしまうようなことがあったしたら、火柱は20メートルぐらいは上がったのではないかと・・・。

 パンフレットの行事日程を上から下に追っていくと、「7月22日(土)戸畑祇園大山笠競演会」という文字が目に飛び込んできました。

 約50年ぶりに行ってみようかな・・・。


2.先月のイチオシ!! ビデオ作品

作品名 「平成二十九年戸畑祇園大山笠」
制作 オリジナル・シー・ヴイ
時間 3分

 7月22日土曜日、午後7時過ぎ。まだ明るくて、提灯山笠を楽しむほどの暗さではありません。

 競演会会場である戸畑区役所前は多くのひとだかりです。山笠が通る道の歩行者通路側は座席取りの敷物や椅子などでいっぱい。

 もちろん、現場警備員は「通行の妨げとなり危険なため、敷物や椅子で場所取りをしないでください。」と声を荒げていますが、皆さん、どこ吹く風。

 「去年もこの場所にシートを引いたのよ。なぜ、いけないの?」

 かぶりつきの席を確保するため、必死です。

 さて、競演会の開始が告げられ、幟大山笠の運行が始まりました。

 幟大山笠とは12本の紅白の幟などを飾った大山笠。これに提灯はひとつも乗っていません。

 段々暗くなって来て、そろそろ提灯大山笠の登場となるのでしょうけれど、どこから出て来るのか?

 先程の幟大山笠が所定の場所に来て、停止しました。

 見ていると、山笠の上に飾られていた幟、勾欄、見送りといわれる飾り物を次々と外していき、すべてを取り除いてしまいました。

 そして、次にその山笠の4つの角に4本の柱を立てました。

 準備が出来たところで、大会委員長から「五段上げ開始」の大号令。

 すると、まず、五段になった提灯を山笠のてっぺんまで一気に引き上げ、そして、その下に収まる提灯枠を次々にはめ込んでいきます。
 すべて組み上げて、提灯大山笠が完成するまで1分とかかりません。

 見事です。圧巻です。初めて見る人には一瞬にして現れる提灯大山笠に驚愕することでしょう。

 大会委員長から「運行開始」の大号令。大小8基の提灯山笠が夜空の下で華麗な競演を開始しました。

 約50年前、八幡製鉄所の溶鉱炉は稼働しており、北九州市は活気に溢れていました。
 この祭りにも多くの見学者が繰り出し、満員電車のような、すし詰め状態だったような気がします。

 その時に比べれば、やはりこのお祭りに繰り出す人は少ない。

 もともと、私は人混みが好きではなく、お祭りとか花火大会とかは避けて来ました。
 しかし、今年の山笠の人混みぐらいならば、じっくりと見れますし、悪くはありません。

 そして、何と言っても、この勇壮華麗な提灯山笠を一度見たら、他の場所で行われている山笠など見る気になれません。

 来年もまた足を運ぼうかなと思います。戸畑祇園大山笠をまだ知らないという方はぜひぜひお越しあれ。

No. 167 2017-07-01 [撮影四方山話] 新たな日課

 オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。

 オリジナル・シー・ヴイはもうすぐ15年目を迎えます。

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<目次>
1.[撮影四方山話] 新たな日課
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「2016年 あれこれ」
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1.[撮影四方山話] 新たな日課

 私の家の前は公園になっており、樹木も大きく育っています。

 この公園の一部である30メートル程の真っ直ぐな散歩道は商店街へ通じる近道として多くの人に利用されており、私の毎朝の日課であるジョギングも、ここからスタートするのです。

 ある日の朝、ジョギングを始めようとしたとき、この散歩道の脇にポイ捨てされた空き缶を見つけました。

 でも、ジョギングを始めたばかりなので拾いもせず、そのまま通り過ごしました。

 翌朝ジョギングしたときも、その空き缶は同じ場所にありました。

 3日目の朝も、4日目の朝も、そして、1週間が過ぎてもその空き缶は同じ場所から動きません。

 誰もその空き缶を拾おうとはしないのです。

 そのとき、ふと思ったのです。ひょっとして、この空き缶は『私に拾われたい』と思っているんじゃないかって。
 妙な感じなのですが、空き缶の気持ちが何だかわかったような気がしました。そしたら、後は行動あるのみ。

 家に帰って、ビニール袋を持って来て、その空き缶を拾い、ビニール袋に入れました。ついでに、同じように捨てられているゴミを片っ端から拾いました。

 ペットボトル、弁当のふた、新聞、たばこの吸い殻、たばこの空き箱、お菓子の袋、傘、タオル、・・・。

 ゴミがなくなると、その木々に囲まれた散歩道は清々しい素敵な空間に変わりました。

 その日以降、その散歩道のゴミを拾うことが私の日課になりました。

 考えてみれば、横浜でジョギングをしていたときは一度もゴミ拾いなんてしたことはありません。

 ご近所の方々が毎日箒で掃除をして下さっていましたし、地元のボランティアの方々が毎日ビニール袋を片手にゴミを拾って下さっていました。

 横浜で気持ちよくジョギング出来ていたのはそういう方々のお蔭であり、言わば私はその方々の上にあぐらをかいていたわけです。

 今度は私がその役を仰せつかることになりました。これまで横浜での御恩を考えれば、これから毎日精進あるのみです。 


2.先月のイチオシ!! ビデオ作品

作品名 「2016年 あれこれ」
制作 福岡県女性
時間 12分

 大きなイベントをビデオ作品として残しておくことは多くの皆さんのやられている通りです。

 しかし、ちょっとした出来事の映像記録というのはビデオ作品にする必要もないと思われているのか、そのまま撮りっ放しにされている方も多いのではないでしょうか。

 経験的に申しますと、これらの小さい出来事でも、ある期間をまとめてビデオ作品にしておいた方がよいと思います。

 なぜなら、大きなイベントというのは記憶の片隅に残っていますが、小さな出来事というのはまったく記憶に残っていないからです。

 数年経って、このビデオ作品を見ると驚かされます。

 『えっ、こんなこともあったの?』

 それはまったく新鮮な発見です。お試しあれ。

 さて、2016年の初め、三社参りに出かけました。福岡県で三社参りと言いますと、太宰府天満宮、筥崎宮、宮地嶽神社をお参りすることです。

 それぞれの主祭神は菅原道真、応神天皇、神功皇后ですが、北九州ではビッグスリーとも言える存在です。どんな小さな神社へ行っても上の三柱の内のひとつは祀られていると言っても過言ではありません。

 そして、三社参りの楽しみは何と言っても食べ物。太宰府天満宮では「梅が枝餅」を食べますし、宮地嶽神社では「松ヶ枝餅」を食べます。

 そうなれば誰でも想像するのは、筥崎宮では「竹が枝餅」が食べられるのではないかと・・・。

 それが無いんです。

 皆さんから期待されているのですから、いっそのこと商品開発してみたらと思うのですが・・・。無責任発言ですみません。

No. 166 2017-06-01 [撮影四方山話] 廃校

 オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。

 『理性を失わせる八百屋さん』に掲げられたある日のメッセージ。

 「いつまでもあると思うな、親と金とブロッコリー」

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<目次>
1.[撮影四方山話] 廃校
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「統合への日々」
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1.[撮影四方山話] 廃校

 北九州市立大場谷小学校は2003年に廃校となりました。我が母校です。

 あの白鵬でも記録を塗り替えることが出来ていない69連勝の記録。
 その偉大な記録保持者の双葉山が過去に訪れて、土俵開きを行ったと聞いています。その土俵は、私がこの小学校に通っていた頃にもグランドの隅に残っていました。

 しかし、今はがらんとした空き地が残るだけ。校舎はとっくの昔に壊されて更地になっています。大きな桜の木だけが昔の想い出を少し残しているだけです。

 大場谷(おおばたに)小学校の名称の由来は、建てられたところが大場ヶ谷という狭い谷間にあったからでしょう。この名称には小さな「ヶ」が入っています。

 そこで近隣の小学校の悪童たちは私たちの小学校をご丁寧にも小さな「ヶ」を入れ、そして、「に」を「れ」に代えて、「おおばかたれ小学校」と呼んでいました。

 学業の成績は悪くても、人の悪口を言わせたら天下一品という輩は多くいるものです。

 しかし、大場谷小学校の校歌の一番をじっくりと読んでいると、この作詞者もまた、近隣の悪童たちと同じように、私たちのことを見ていたのではないかと思えない節もないのです。

 「美しい国、日本」とスローガンを掲げた瞬間、今は美しくないんだということがわかるように・・・。

 << 大場谷小学校校歌 >>
「照る陽に匂う 皿倉の
山並みはるか 仰ぐとき
さとく賢く 育てよと
あの青雲が 呼んでいる
そうだ 育てよと 呼んでいる
ああ われら 良い子の大場谷」


2.先月のイチオシ!! ビデオ作品

作品名 「統合への日々」
制作 ***中学校
時間 7分

 ある中学校の先生から電話がかかって来ました。

 「今度、創立70周年記念の行事を行うので、そのスライドショーの作成を依頼したいのです。」

 「わかりました。場合によっては長い歴史の年表などを作成したり、説明のためのナレーション台本を作成しなければならないので、関連する資料をお送りください。」

 「いえいえ、そんな大それたものではないんです。約10年前にふたつの中学校が統合されて現在に至っているので、その10年前の統合のときの写真をスライドショーにしていただければいいのです。」

 「・・・・」

 わかったような、わからないようなスライドショー作成の依頼なのですが、お断りする理由もないのでお引き受けすることにしました。

 全体像を掴みたいので、早い段階でいろいろな資料を送って下さるようにお願いしたのですが、お忙しいのでしょうか、なかなか資料が届きません。

 漸く行事開催の約一月前になって、スライドショー用の写真が送られて来ました。

 封筒の中には、写真のデータが書き込んでいるDVD1枚だけが入っていました。その他のメモなどは一切なしです。

 そのDVDの中には約100枚の写真が入っていましたが、それだけです。説明文などは一切なし。

 うーん、これだけで何が出来る???

 いやいや、私の想像力を駆使して何でもやっていいというのであれば出来ないことは何もないのですが、それがお客様のご要求を満たすかは大いに疑問。

 そこでもう一度、先生に「何かきっかけになる資料はないでしょうか」と要求をしてみますと、一冊の記念誌が送られて来ました。

 「創立47周年記念誌」

 これは統合後廃校になってしまった中学校の最後に発行された記念誌なのです。

 6800名の卒業生を世に送り出しながらも、少子化という時代の流れの中で、ここに歴史の幕を閉じなければならなかった無念さが滲むように伝わって来ます。

 当時の校長先生は3年後に迫った50周年の記念行事をPTAの皆さんと協議をしていたと言いますから、この統合の話はいかに寝耳に水のことだったのかがわかります。

 それでも生徒たちの将来を考え、ご自分の職務を全うされようとしている校長先生の姿が目に浮かびます。

 「本校は、いくら生徒数が少なくとも志や精神は不変であり、生徒一人ひとりを大事にし、共に学び、共に育つという目標・方針は変わりません。『通わせてよかった、学んでよかった』と言える学校作りにたえず努力し、混乱なく両校が統合になることが大きな責任だと自覚しております。」

 そして、校長先生はこの歴史に幕を閉じる最後の一年間をどのようなお気持ちで生徒たちに接していたのかを想像しますと胸が詰まります。

 この瞬間、私はこのスライドショーをどのようにすべきなのか、いや、何をしなければならないのかが鮮明に脳裏に浮かびました。もう何も迷うことはなかったのです。

No. 165 2017-05-01 [撮影四方山話] 理性を失わせる八百屋さん

 オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。

 ここから歩いて10分もかからないスペースワールド。今年いっぱいで閉園となり、その後はアウトレットの複合施設になるとか・・・・。

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<目次>
1.[撮影四方山話] 理性を失わせる八百屋さん
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「平成28年度そつえんしきとおもいで」
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1.[撮影四方山話] 理性を失わせる八百屋さん

 隣の隣の奥さんに久しぶりに会った時、いきなり言われました。

 「あんた、太ったね~。」

 うーん。否定できない自分が悔しいじゃあ、ありませんか。そして、それは誰のせいでもなく、自分自身をコントロール出来ない自分に責任があるのは重々承知しているのですが、ボヤキも言いたくなるのです。

 昨年、12月に北九州へ引っ越して以降も、毎朝5時からジョギング。途中、近くの商店街を通っていくのですが、もうその時刻に店の陳列を始めている八百屋さんがありました。

 12月の朝5時はまだ暗くて、時には北風が吹き抜け寒さが応えるときです。こんなに早くから感心だなあと興味を持ち、ある日、その店に買い物に行きました。

 すると驚きました。品物が圧倒的に安いんです。これで採算が取れているのだろうかと心配するぐらい安いんです。そして、毎日、その日の特売品があって、これがまたビックリ。

 1月のある日、お店に入るとお上さんが声をかけて来ました。

 「今日は珍しいものが入ってるよ。買って行きなさい。」

 見ると、サザエと牡蠣なのです。

 「おばちゃん、全国何処を捜しても、サザエと牡蠣を売っている八百屋さんはないでしょう?」

 「そんなことないわよ。」

 あまりに平然と言われると、サザエと牡蠣は野菜のジャンルに入るのかと思ってしまうじゃないですか。

 大ぶりのサザエが6個で580円。1個百円を切っているわけです。早速、買って帰って、壺焼きにしてペロッと食べちゃいました。

 またある日、お店に入っていくと、お上さんが早速声をかけて来ました。

 「今日はサンチュが安いよ。」

 見ると10枚入りのサンチュが3束で100円なんです。即、それを買って、お肉屋さんに直行。豚三枚肉(サムギョプサル)をたっぷりと買って、その日は焼肉決行。また、ペロッと食べちゃいました。

 また次のある日、お店に入っていくと、お上さんの声です。

 「今日は大葉が安いよ。」

 見ると、大葉40枚で百円なんです。

 「おばちゃん、一人で大葉40枚も食べられないよ。」

 すると、奥から旦那さんが出て来て、

 「天ぷらにすれば食べられるよ。」

 うーん、抗えないのです。「はい、わかりました。」と言って、買ってしまいました。そのまま、お肉屋さんに直行。さすがに、天ぷらにする気になれなかったので、お肉屋さんのお上さんに、大葉の美味しい食べ方のレシピを聞いて、また、お肉も買いました。

 横で聞いていたお肉屋さんの旦那さんが元気な声で

 「そうそう、お兄さん、わからないときは聞くのが一番!」

 褒められているのか、褒めてられてないのか、よくわからないまま、帰宅して料理後、全部食べちゃいました。

 こんなことしていたら、太るはずなのです。

 そして、最後の止めはつい先日のことでした。

 えのき1パックがなんと10円を切って、9円で売っていたのです。

 「おばちゃん、これ何?」

 「原価がどうなってるのかと思うでしょ。」

 その言葉を聞いたとき、『おばちゃん、原価って単語知ってたの?』と思わず声に出そうになったのですが、かろうじて喉元で抑えました。

 このお店に入る度に、私は理性を失ってしまうのです。どうにかしなきゃならないとは思っているのですが・・・。


2.先月のイチオシ!! ビデオ作品

作品名 「平成28年度そつえんしきとおもいで」
制作 東京都***保育園
時間 107分

 卒園児が歌う唄に乗せて、1年間の想い出が回想していくオープニングです。

# 友達はいいもんだー #

 桜舞い散る中、卒園児の鼓笛隊は胸を張って・・・

# 目と目でモノが言えるんだー #

 お泊り保育の夜、怖がりながらも一人一人がもつ花火に顔を輝かせ・・・

# 困った時は力を貸そう #

 市のおまつりで見事な踊りを全員で演じ・・・

# 遠慮はいらない #

 運動会の入場シーンで、笑顔がはちきれそう・・・

# いつでもどこでも #

 かけっこ、玉入れ、力の出し惜しみはしません・・・

# 君を見てるよー #

 組体操は調和が大切・・・

# 愛を心に #

 もちつき大会でも杵を大きく振り上げ・・・

# 君と歩こう #

 クリスマス会、芝居イエス生誕はおごそかに・・・

# みんなはひとりのために #

 芝居キリギリスとアリはウィットを効かせ・・・

# ひとりはみんなのために #

 音楽会での合唱は心を込めて・・・

# みんなはひとりのために ひとりのために #

 体育発表会では練習してきた成果を思う存分に発揮して・・・ 
 

 そして、卒園児が舞台の中央で演じる中、その四隅のどこかにはいつも暖かく見守る先生や父母の皆様が映っているのです。

No. 164 2017-04-01 [撮影四方山話] おもてなし

 オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。

 おいでなさいまし、北九州へ。

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<目次>
1.[撮影四方山話] おもてなし
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「仏壇の花」
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1.[撮影四方山話] おもてなし

 「ウッソー、来ないなんて信じられない!」

 3年連続で計6週間程滞在させて頂いたカナダ・スコーミッシュのA夫妻に、「4年目の今年は行くことが出来ません。」とメールを打った時の彼らの反応でした。

 彼らは若いというのに気配りが細やかで、彼らのおもてなしの気持ちには、本当に頭が下がりました。

 話は11年前に戻ります。

 11年前の2006年、私はB夫妻に伴って、ギリシャ・カリムノス島にクライミングに出かけました。その島の中のさらに小さいテレンドス島に行ったとき、「日本人に会うのは初めてだ」と言われましたから、当時のカリムノス島はまだ日本人によく知られていないエリアでした。

 日本に帰って来て、その素晴らしいクライミングエリアをC夫妻に伝えると、翌年、C夫妻もギリシャ・カリムノス島へ出かけていきました。

 そのとき、現地で、カナダ・スコーミッシュから訪れていたA夫妻に出会って意気投合したというわけです。別れ際にA夫妻から

 「来年はスコーミッシュの最も素晴らしい時期である8月にぜひ、
いらして下さい。」

とC夫妻に声をかけられたのだそうです。C夫妻も「ハイハイ」と返事をしていたようですが、こういうことは口約束ということもあるし・・・。

 ところが、翌年6月頃、スコーミッシュのA夫妻からC夫妻のところに「いつ、来るの?」というメールが頻繁に届いたのだそうです。

 「何日滞在してもOK。冷蔵庫の中のものは好きなだけ食べて良いし、車も使っていいのよ。」

 そして、何よりもA夫妻のスコーミッシュの住所はクリフサイドと、岩場に近いところに住んでいるようなのです。もし、そうだとしたら、こんなに便利なことはないわけです。

 そこで、C夫妻から私のところへ
 「あまり熱心に来いと言われるし、ギリシャ・カリムノス島の縁もあるから、行ってみませんか」
とお誘いがありました。

 「ほんじゃまあ、行ってみますか」という軽いノリだったのですが、カナダ・スコーミッシュのA夫妻の家に着いたら、驚きました。

 まさに、崖の途中に建っている眺望最高の家なのです。 

 庭先から先は崖になっており、下から登って来たクライマーが庭先に頭を出して来ます。一方、玄関から出ていくと100メートル程先には次のクライミングエリアがあるというわけで、クライミング三昧というに相応しいクライマーにとっては堪らない場所でした。

 滞在していたある日、A夫妻のご主人のバースデイパーティが行われ、20人ぐらいは集まって来たでしょうか。もちろん、私は初対面の人ばかりなのですが、皆さん、どうもどこかで見たような顔ばかりなのです。

 「あっ」と気付きました。

 彼らはスコーミッシュのクライミングガイドブックの口絵に写真が載っているバリバリの現役クライマーや写真家だったのです。
 道理で・・・。

 また、ある時、地元クライマーズ・ファンドの会長宅でパーティが行われた際に招かれましたので行ってみますと、スイス人やフランス人のクライマー達も来ていました。

 こういうところでの情報交換はとても貴重で、日本の中にいても聞けないものばかり。

 「世界中で、どこのクライミング・エリアが良かった?」

 「南アフリカとキューバかなあ。」

 「治安、大丈夫なの?」

 「全然問題ないよ。素晴らしいところだよ。」

 「へえーっ。」 

 万事がこんな感じで、私の足元は地についていたかどうか・・・。

 でも、間違いなく言えることはスコーミッシュでの6週間は私のクライミング人生に於いて最も至福な空間と時間であったということです。あのような経験は今後、再び起こるとは思えません。

 その機会を与えてくれたスコーミッシュのA夫妻に感謝することは当然のことなのですが、そればかりでなく、若い彼らから学んだことを今度は私が実行する番ではないかと思うのです。そうでなければ人類の知恵は伝承していきません。

 さて、ここ北九州の家の客間も漸く修理が終わりました。布団は最大9組ほどあります。どうぞ皆さん、ご遠慮なく北九州へ足をお運び下さい。皆さんのお越しを心よりお待ちしています。


2.先月のイチオシ!! ビデオ作品

作品名 「仏壇の花」
制作 オリジナル・シー・ヴイ
時間 7分

 北九州の実家に戻って来て、まず最初にやったことは仏壇に花、御飯(おっぱん)を供え、焼香したことです。

 信心深かった祖母は毎日欠かさず、仏壇の前でお経を上げていましたし、バリバリのビジネスウーマンで宗教には無縁と思えた母も父が亡くなった後は毎日のようにお経を上げていました。

 ここで、私だけが何もしないというのはご先祖様に申し開きが出来ませんので、信心深くない私でも出来ることをひとつひとつやっていくことにしました。

 さて、仏壇の花と言えば、定番の菊。祖母や母の時代に菊以外の花が供えられたということは記憶にありません。

 そこで私も仏壇用の花として、菊を買いに行くことにしました。

 1月のことです。近くの商店街の生花店の店先に3-4本の菊が束ねて置いてあり、仏壇用という表示がありました。

 「こんにちは。仏壇用の花が欲しいんですけど・・・。」

 店奥からおかみさんが出て来て、

 「ハイハイ、仏壇用の花ね。今は丁度チューリップが出てくるときで、皆、これを待っていたのよ。悪いことは言わないし、まけておくからこのチューリップを持って帰りなさい。」

と、5本ずつ束になったピンクのチューリップ2セットを渡されました。

 「お兄さん、チューリップの活け方を知らないでしょ。チューリップは10日程経ったら、お辞儀をしてくるので、そのときは茎を10センチ程切ればシャンとするよ。長持ちするから・・・。」

 そのまま持ち帰って、仏壇に供えていた萎れた清楚な菊と交換してピンクのチューリップを活けました。

 なんか、蕾のチューリップというのは妙に色っぽいんです。ぴっちりのチャイナドレスを着ている感じ。それが10本もあるんですから、仏壇全体にムンムンの色気が出て来ました。
 ご先祖様は鼻血出さなきゃいいけどなあ。

 ひと月程経って、チューリップが萎れて来たので、再び、商店街の生花店に買いに行きました。

 「仏壇用の花を下さい。」

 「そうね。今はこれかなあ。」

 そう言って作ってくれたのが、ピンクのスウィートピーに黄色のフリージア。

 「フリージアはまだ蕾だけど段々と咲いて来て、きれいになるわよ。」

 持ち帰って、仏壇に供えるとかわいらしいのです。そうそう、若い時の松田聖子のよう。

 またひと月程経って、スウィートピーとフリージアが萎んで来たので、再び、商店街の生花店に買いに行きました。

 「仏壇用の花を下さい。」

 「そうね。これからはカーネーションかな。それにしても、お兄さん、感心だね。仏壇用の花をまめに買いに来るとは・・・。
 最近の人は面倒臭がって、仏壇用の花を造花で済ませることも多いと
いうのに・・・。

 それじゃあ、桜をサービスするから持っていきなさい。」

 「エッ、この時期に桜があるんですか。」

 「生花店の花というのは季節に先立って咲かせるものなのよ。」

 渡された花を持ち帰って、カーネーションは仏壇に、そして、桜の小枝は床の間に飾りました。

 そして、3月中旬には床の間の桜は満開の花を咲かせていました。ご先祖様もさぞかし驚かれて、喜んでいるに違いありません。

 めでたしめでたし。


No. 163 2017-03-01 [撮影四方山話] 水星

 オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。

 北九州に移転して、最初の撮影のお仕事は千駄ヶ谷の東京体育館での講演でした。アレレ・・・。
 撮影のご依頼を頂ければ、世界中至る所どこにでも参上します。

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<目次>
1.[撮影四方山話] 水星
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「登山者に役立つ膝の痛み・トラブルの
予防と対処」
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1.[撮影四方山話] 水星

 12月に北九州に引っ越してから1月の「大寒」辺りまで、北西風が常に吹いて雲が次から次へと流れていくような天気が続いていたのですが、「大寒」を過ぎたある日を境にして、天候がガラリと変わりました。

 満天の星が見えるような日が2-3日続くようになったのです。

 理屈的にはこれまで一方的に強かったオホーツク高気圧の勢力が弱まり、太平洋高気圧の勢力が北九州辺りまで強まって来たということになります。そして、南東からの風も入り始めたことになります。
 北九州は南東に九州山地を控えているので、南東風が吹けば北九州にはからっ風が吹くことになり、晴天になります。

 確かに、2月の寒波が到来した際、東北地方から中国地方の日本海側で大雪になりましたが、北九州の平地では小雪が舞った程度で積雪には到りませんでした。

 やっぱり、北九州は暖かいんだあ~~~。

 そこで、俄然に楽しくなったのは夜明け前の星空ジョギング。北九州は横浜よりも光害が少ないので、星がよく見えます。1月の「大寒」の頃は南天の乙女座スピカの近くに木星が輝き、さそり座のアンタレスの左側に土星が見えました。

 木星から土星に向けて、定規を当てて線を引き、その線と地平線の交わる辺りをじっと見つめると水星が姿を現しました。感無量です。

 現在(2月後半)になると水星は太陽と重なるような位置に移動してしまいましたので、もう肉眼では見ることが出来ません。
 次に夜明け前に、水星が姿を現すのは2か月後辺りかなあ。また、楽しみですが、日の出も早くなっているので見えるかどうか。

 やきもきさせるところが、水星の最大の魅力なのかもしれません。


2.先月のイチオシ!! ビデオ作品

作品名 「登山者に役立つ膝の痛み・トラブルの予防と対処」
制作 日本山岳会医療委員会
時間 114分

 2月16日、千駄ヶ谷の東京体育館で、日本山岳会医療委員会主催の講演会「登山者に役立つ膝の痛み・トラブルの予防と対処」が開催されました。

 定員100名で募集と伺いましたが、その日の参加者は120名を超える超満員。遠くからお越しになっている方も多数いらっしゃるとのことで、いかに多くの登山者が膝に悩みを抱えているのかがわかります。

 講師は聖マリアンナ医科大学の小林哲士先生です。

 ズバリ、小林先生のお話は懇切丁寧でわかりやすい!

 まず、膝の構造を図で見せ、視聴者に最低限知っておいて欲しい各部の名称を説明していきます。

 大腿骨、脛骨
 前十字靭帯、内側側副靭帯、外側側副靭帯、半月板
 膝蓋下脂肪体、鵞足、腸脛靭帯、大腿四頭筋腱

 そして、痛いところはどこなのか?大きく分けて、関節内のトラブルなのか、関節外のトラブルなのか。

 それぞれを場合分けをして、そのトラブルのひとつひとつの原因と対処方法・予防方法を紐解いていくわけです。
 痛い原因が何であるのかを正しく分析出来ていれば、解決策はおのずと決まります。複雑な場合もあるのでしょうが、それが発症する仕組みを理解出来れば答えは出てくるわけです。

 その原因によっては歩き方ひとつを注意するだけで解決するような膝の痛みもあるとのこと。目から鱗です。

 一番大切なところは原因の正しい分析ですが、これは素人のにわか判断では難しいと思いました。本当に多種多様なケースがあるので、そこは専門の先生と相談しながら、進めていった方が良さそうです。

 最後に、視聴者の皆さんと質疑応答に入りました。ここで質問されたほとんどの方が実際に膝の故障で手術をされたという方ばかり。それも多種多様なケースがあって、対処方法も多岐にわたります。

 それを小林先生はジグソーパズルを解くように、この場合はこう、その場合はそうと明快に回答していきます。視聴者に不安を抱かせるような要素は出来る限り排除するというような気配りがあってのことだと思います。

 講演が終わり、閉会のことばで、日本山岳会医療委員会の浜口委員長からあいさつされました。

 「・・・本日はいかに膝をいたわりながら、山を楽しむかというお話を聞けました。

 会場の方からも膝の悩みを解く方法を、医療相談のお金を払わずに聞けたということは本日の最大のベネフィットではなかったかと思います。

 これからも膝をいたわりながら、山登りを楽しんで下さい。以上です。」

 パチパチパチパチ・・・・・。

No. 162 2017-02-01 [撮影四方山話] 父の山道具

 オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。

 一日にひとつずつ・・・。すべて片付く日が来るまで・・・。

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<目次>
1.[撮影四方山話] 父の山道具
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「**家**家御結婚式」
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1.[撮影四方山話] 父の山道具

 横浜から北九州の実家に引っ越して来てから、2か月が経とうとしていますが、まだまだ片付いていません。

 最初の一月は大きくなり過ぎた庭の木を切りまくり、切り刻んでごみ袋に詰め込んでいたら100袋ぐらいになったでしょうか。二月目は業者さんに来てもらって、錆びてしまった屋根の修理をしているところです。

 今のところ、一人で生活していく分には差し障りはありませんが、お客様をお招きしようとするならば客間の整理は不可欠で、山積みになっている布団やベッドの片付け、障子の張替え、エアコンの買い替えなどいつになったら終わるんだと思うものばかり。

 それも元をたどって行けば、押入れにそれらを詰め込むほどのスペースがないからで、その押入れに陣取っていたのは15年前に亡くなった父の遺品でした。

 母はそれらを捨てきれなかったのでしょう。母は父が愛着していた道具をひとつひとつビニールに包み、段ボール箱の中にびっちりと隙間のないように詰めて入れていました。そして、それらが何箱も出て来たのです。

 それらをひとつひとつ荷解きながら捨てていくわけですが、さすがに胸が苦しくなります。父と母の想いがジーンと伝わってくるからです。遺品整理など好きでやる人はひとりもいないと思います。

 その心苦しさを味わうよりは、いっそのこと遺品回収業者に任せて、捨ててもらうという方の気持ちは十分によくわかります。

 さて、その父の遺品の中で取り分け多かったものが山の道具でした。

 山の道具が多いから、父の趣味は山登りかと思われるかもしれませんが、さにあらず。父の膨大に集めた書籍の中に、植村直己、長谷川恒男、小西政継なんて表題につくものは一切ありません。

 本棚を飾っているタイトルは名城、古城などというものばかり。特に、父が興味を持っていたのは山城でした。つまり、父は山城の調査をするために山の道具を買っていたのです。

 福岡県には大宰府政庁跡の北側の四王寺山(標高410m)に、城壁6.8kmにも及ぶ大野城跡があります。城域は東西約1.5km×南北約3kmにもなり、日本一の大規模な古代山城です。(九州国立博物館の常設展のゲートにその規模の大きさを示す模型が飾られています。)

 父はこれを自分の足で踏査して、2万5千分の1の地図に書き込んでいました。

 「それじゃあ、あんたはそれを見たんか。わしはこの目で見たんじゃ。」

というのが父の自慢でした。

 その父の山道具の遺品の中で、びっくりしたのはコッヘルが10個以上も出て来たことでした。それが微妙に形やサイズが違うんです。

 私だったら、コッヘルなんて1個もあれば十分で、もし、ふたつ持つことになったとしたら、古い方は捨てて1個だけにします。

 でも、道具に愛着を持っていた父のことだから、その日の調査の内容に合わせて持っていくコッヘルを選んでいたのではないかとも思うのです。

 「今日は標高300mでやぶこきが多く、広い場所もないだろうから、この小さなコッヘルを持っていこう。」なんて・・・。

 そして、もうひとつ驚いた遺品は、マタギが持っているような尻当てでした。東北の朝日連峰の山奥だったら、それは似合うかもしれませんが、福岡県の街中でそんな恰好で出て来られたんじゃ、クマが出てくるよりも驚かれます。

 でも、父のことだから他人の目なんて気にせず、飄々と歩いてたんだろうなあ。

そして、母もそれを想い出してはクスッと笑っていたのではないかとも思うのです。


2.先月のイチオシ!! ビデオ作品

作品名 「**家**家御結婚式」
制作 東京都男性
時間 134分

 世界で最も有名な賞のひとつを受賞された学者先生。世界史の1ページにご自分のお名前が刻まれることになり、超一流であることが証明されたわけです。

 一流と言われるだけでも大変なことで、卓越した能力や技術、洗練された感性などをお持ちで、普通の人達から比べれば頭ひとつ抜きん出た存在だと思います。

 さらに、超一流というのはそういう一流の人達を束ねた上で、また頭一つ抜きん出ているわけです。超一流と一流の違いは何であるのか、私程度のレベルではわかりません。

 しかし、超一流と呼ばれる人達には、言葉にするのが難しいのですが、何かしら共通の雰囲気を持っているように思えるのです。

 彼らは世界最先端の最も厳しい競争原理が働く環境に身を置かれているわけですが、その中にあっても性格がギスギスしているところがないように思えます。周りの人達を包み込むような深い慈愛を感じ、何も喋らなくてもそこに存在しているだけでオーラを醸し出しているように思えます。

 ここに紹介する映像はその学者先生の20数年前のある結婚披露宴でのスピーチの模様です。そのとき、ご自分が現在のような名声を得るとは露とも思わなかったでしょうが、独特の雰囲気は当時からお持ちだったように思えます。

「・・・・・。

 私も常々いろんな分野の研究者と接する機会があります。

 生物学をとりましても、動物をやろうか、植物をやろうか、というある種の選択があるわけですが、どうも動物をやる人間の方が血の気が多くてアグレッシブであるというのがひとつの真理のようで、植物をやる人はある意味で大人しいということがあるみたいです。

・・・・・

 これからお二人が家庭を築かれていく上で、やはり何と言っても大事なのはお互いの思いやりではないかと思います。

 植物で例を引かせていただければ、植物といろんな生物というのは今まで思っていたよりもたくさんいろんなインタラクション、相互作用しているんだということがわかって参りました。

 もちろん、その中には寄生、共生と言葉で言われることがあるわけです。共生と言っても一方的に利益だけを得るというのもありますし、宿主になったものは段々疲れ果てて枯れていくのもあるかもしれません。

 ですが、植物で今知られて来ていることは、実はそいういう生物の相互作用がないとふたつともうまく成長出来ない、ふたつがカップルしたときにものすごく順調に成長が出来るということがたくさん自然界にあるということがわかって参りました。

・・・・・。」

No. 161 2017-01-01 [撮影四方山話] 北九州の天気

 オリジナル・シー・ヴイ代表の末次です。

 あけましておめでとうございます。本年も皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

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<目次>
1.[撮影四方山話] 北九州の天気
2.先月のイチオシ!! ビデオ作品 「Happy 60th」
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1.[撮影四方山話] 北九州の天気

 昨年、12月5日に北九州の実家に戻って来ました。高校を卒業して以来ですから、ざっと40年ぶりです。

 まだ、3週間ほどしか経っていないのですが、特にこれまでと変わったなと感じるのは天気です。
 関東で35年以上も生活して来たので、冬にはカラッと晴れた、雲ひとつない青空が毎日のように続くのが当たり前でした。夜も満天の星が見えたわけです。

 ところが、ここ北九州は玄界灘に面していて、冬には日本海を通って来た北西風が直接吹き付けます。関東のように一日カラッと晴れていることはほとんどありません。晴れたとしてもどこかに雲があり、雲が多くなるとポツリポツリと雨が降って来ます。
 夜も雲の合間から星が見えて来るので、見える星がどの星座に位置しているのかを判断するのは容易ではありません。

 この天気、どこか似ている地域があったなあと思い起こしてみると、それはイギリスでした。ロンドンもこのような感じなのです。昔、英国紳士は不安定な天気に傘を手放すことはなかったと聞きました。

 ロンドンの中心から車で1時間も走ると、羊が放牧されている美しい緑色のヒースの丘がうねるように続きます。その景色を見てこそ、エミリ・ブロンテの「嵐が丘」が理解出来るというものです。

 ここ北九州は「無法松の一生」、火野葦平の「花と竜」、松本清張が育ったところで有名ですが、もっと古くには神功皇后が朝鮮出兵のために船を修理したところであるとも言われています。八幡の町の神社の祭神として、神功皇后を祀っていないところはないと言っても過言ではありません。

 神功皇后が登ったとされる皿倉山(622m)からは北九州の町が一望出来ます。

 イギリスのヒースの丘とは一味違った、趣きのある町、それが北九州と言えるでしょう。


2.先月のイチオシ!! ビデオ作品

作品名 「Happy 60th」
制作 東京都女性
時間 85分


 ここはオーストラリアのゴージャスなリゾートビーチの高層マンションの一室。

 夜になると、雲間から漏れ出て来た月の明かりが夜の海をキラキラと幻想的に照らし出しているのが見えます。
 日本から、そして、海外で生活している家族が一同に、ここに集まって来ました。

 その目的はママの還暦祝いです。

 その当日、朝からその部屋は還暦パーティのために、様々に飾り立てられていきました。
 大きな壁一面に紙の花で描かれた「60」という数字。食卓には手彫りでデザインされたワイングラス。そして、言うまでもなく地元で獲れた海老、かに、様々な魚介類やサラダがところ狭しと並べられています。

 さあ、乾杯でスタート。食が進んで一息ついたところで、余興が始まりました。

 孫3人による「MAMA 60th」の合唱です。楽譜を見るでもなく、すべて暗記するほど孫たちは練習を積んで来たのです。これにはママも湧き出してくる感情を抑えることが出来ませんでした。

 歌い終わると、ママは孫3人に駆け寄って、一人一人ハグをしていきました。それが終わると、今度は息子、娘たち全員を一人一人ハグしたのです。

 最後に、パパからの手紙がパパ自身によって読まれました。

 「ママ、還暦おめでとう。ママの夢だった、仲の良い大家族が出来たのは、それを望んで努力してきた結果です。そして、その皆が笑顔なのはこれ以上のない幸せです。

 ママの望まなければ得られないというポジティブシンキングの実証で、二人で歩いて来た40年の結晶です。

 ・・・・

 還暦を迎えてのママへのお願いはこれまで通り、皆の輪の中心にいながら自分のために人生を楽しんで下さい。本当にありがとう。」

 全員からママに対して、おめでとうの言葉が贈られました。

 今度はママが皆に対してお礼のスピーチをする番です。壁に描かれた60という数字の前に立ちながら、

 「どうしよう、・・・、あー、どうしよう。」

 すぐには言葉が出て来ません。

 「ありがとう、本当にありがとう。皆、優しいから・・・。ありがとう。・・・
本当にこんな素敵な日をありがとう。」

 海外で生活している娘からポツリと、「覚えたての日本語みたい・・・。」