作品名 「KILIMANJARO」
制作 末次浩
時間 26分- 表彰状とか、感謝状などというものに全く縁の無い私ですが、ひとつだけ額に入れて飾っているものがあります。
"This is to Certify that Mr. HIROSHI SUETSUGU has successfully climbed Mount Kilimanjaro, the highest peak in Africa, right to the Summit - Uhuru Peak - 5895m.
Date 4/1/1997 Time 8:50 AM"
20年前にもらった、ありがたいとも思えなかった紙切れが、今、こんなに大切になるとは・・・。
この登頂を境にして、私の人生は大きく変わっていくのですが、未だに、なぜ、その時、キリマンジャロ登山を思いついたのか、わかりません。パッと閃いたというしかないんです。
それまで、海外の山など一度も登ったことはありませんし、それよりも、会社のお金ではなく、自分の懐のお金を使って、初めて出かけた海外の旅なのです。まあ、思い切ったというか・・・。
12月29日 成田発。エア・インディアでインドのムンバイへ向かう。
12月30日 インド・ムンバイ着。大阪発の参加者と合流。旅行会社が企画したこのツアーの全員14名が揃う。すべて男性。かなり登り込んでいると思われる連中ばかり。
12月31日 インド・ムンバイ発、ケニア・ナイロビに到着。ミニバスに乗って、国境を越え、タンザニアへ。国境付近にはマサイ族がたむろしていた。
キリマンジャロ山麓アルーシャ国立公園内のモメラロッジ泊。本当に美しいところ。
1月1日 モメラロッジ発、ミニバスにて、マラングゲート(標高1550m)に到着。
現地ガイド4人、ポーター約50名ほど雇って、いよいよ登山開始。
約4時間歩いて、マンダラハット(標高2727m)に到着。標高的には八ヶ岳に登っている感覚。
1月2日 マンダラハット発、ホロンボハット(標高3780m)着。
キリマンジャロの裾野を歩いているので、急登はなく、だらだらと平坦な道を歩いている感じ。私はここに来るまで、トレーニングらしいことはほとんどやっていないので、出来る限りゆっくりと歩いて、体をなじませようとした。標高的には富士山山頂。
ここでもう1日停滞して高度順応をすれば、登頂率は80%を越えると聞いた。しかし、私たちのツアーは最短日程で登頂する企画。それでも11日間はかかる。会社をそれ以上長くは休めないのだ。高山病にかかることは覚悟の上で参加しているのである。
1月3日 ホロンボハット発、キボハット(標高4703m)着。
植物限界を越えて、砂礫帯に入って来た。標高4200m辺りから頭痛が始まり吐き気を催して来た。高山病の始まりだ。しかし、意識して深呼吸をすれば気分の悪さが幾分弱まった。
キボハットに着くと、参加者2人が真っ青な顔をしていた。ガモウバッグに入れて臨時の処置をしたが、2人はこれ以上登ることを禁じられた。
明日は午前1時に出発。それまで仮眠なのだが、寝付けない。
ウトウトして来ると、呼吸が浅くなり、気分が悪くなって目覚めてしまう。そこで、深呼吸をすると回復するのだが、またウトウトすると呼吸が浅くなり、気分が悪くなる。この繰り返しだ。
1月4日 キボハット発、キリマンジャロ登頂
キリマンジャロは富士山と同じ火山である。まず火口であるお鉢のところまで登り(ギルマンズ・ポイント 標高5690m)、それからお鉢を回って最高点(ウフル・ピーク 標高5895m)に到達する。
午前1時出発。氷点下なので冬用の衣服に着替えている。
出発前に通達があり、ギルマンズ・ポイントを7時30分までに通過しなければ先には進めないと決められた。
昨日まではハイキングと同じで、最後尾辺りをのんびり歩いていた。しかし、今日は明らかに登山であり、この1日だけが勝負なのだ。先頭を行くガイドのすぐ後ろ2-3番手から遅れないようにした。
マラソンレースや自転車レースと同じで、第1グループに残った者だけが、ウフル・ピークにまで達することが出来ると思ったから。
途中のハンス・メイヤーズ・ケーブに到達すると、参加者の1人が吐いてうずくまってしまった。彼は昨年も参加したのだが、ギルマンズ・ポイントにまでしか行けなかったので、今年はぜひともウフル・ピークに達したいと言っていたのに・・・。
先頭のガイドの歩行ペースはほぼ一定であるが、時々、速くなる。
その時に、列が延びてグループに分かれてしまう。第1グループ、第2グループ、第3グループ・・・。その差は高度が上がるほど広がっていった。
私は第1グループから落ちこぼれないように必死に登っていた。
頭はガンガンと痛いし、吐き気は止まらない。それよりも何よりも心臓の動悸がすごいのだ。心臓が喉から飛び出してしまうような、いや、破裂してしまうのではないかと思えるほど、体全体がひとつの心臓になったような感覚なのだ。
そして、とうとうギルマンズ・ポイントに到着したとき、第1グループに残っていたのは4人だけだった。第2グループは見えないほどにはるか後方だった。
10分程休んで、第1グループだけで、火口のお鉢を回ってウフル・ピークに向かった。
私は千鳥足状態で真っ直ぐに歩けなかった。ほんのちょっとなのになんと遠いことか・・・。左手には壮大なディケン氷河の氷壁が見える。そして、見渡すはるか下方には延々とサバンナが続いている。
ここは赤道直下なのだ。ここに来た人だけにしかわからない天国の憧憬だった。
ギルマンズ・ポイントからウフル・ピークで撮影した2分ほどの映像です。ボロボロだけど、私にとっては宝です。
https://www.originalcv.com/climbing/1606videoWorks/aWork/index.php?wnum=73 - メールマガジン No. 172 2017-12-01