作品名 「Homer sometimes ... - Climbing in Kalymnos -」(中編)
制作 Original CV
作品時間 59分- ギリシャ・カリムノス島はエーゲ海の東南方面、それもトルコの海岸線に近いところに位置しています。
私が訪れた2006年頃はカリムノス島の空港はオープンしたばかり。私たちは従来通り、アテネからコス島までローカル線の飛行機で行き、そこから船に乗り継いでカリムノス島へ入りました。
コス島は医学の祖ヒポクラテスの出身地ですので、それに関する遺跡もあります。お医者さんならば興味津々というところでしょうが、私が興味を持ったのはその気候でした。それはカリムノス島との比較という意味でです。カリムノス島とコス島は船で40分ぐらいしか離れていないのですが、気候がとても違うのです。特に感じたのは湿度。カリムノス島は乾燥しているのですが、コス島はそれに比べて湿度が高い。
だから、コス島は草が育つので牛を飼えるそうですが、カリムノス島は乾燥し過ぎていて、棘状の植物しか育ちません。よって、ここでは牛を育てられずに、ヤギしか飼えないのです。目と鼻の先のように近いのに、気候が全く違い、動植物体系も違うとは不思議なものです。
カリムノス島の港町に入ると、そこからマスーリまでタクシーで行きました。マスーリこそがクライミングの拠点となる小さな町です。私たちはその中にあるひとつのスタジオに部屋を借りました。窓を開けると正面にテレンドス島が見え、実に美しい。海はきれいなコバルトブルー。そして、空気は乾燥して本当に清々しい。
毎朝、陽が差し込んでくると朝食を始めるのですが、これは「郷に入れば郷に従え」の通り、隣の部屋のドイツ人クライマーと同じように、陽が差し込む側のドアを開け、テーブルを外に出して、陽を浴びながら食事をします。部屋で食事をするのとは違い、実に開放的で気持ちがよいのです。別に豪華なものを食べているわけではなく、パンとコーヒーというだけのことなのですが、気持ちは豪華になれるということでしょうか。
ある日、SINPLIGADESという標高300メートル程のクライミング・エリアに行くことにしました。そこのエリアに行く途中に、家を建てている老夫婦にお会いしたのです。まだ基礎工事中なので、セメントを捏ねていました。慣れないのでしょうか、そのおじさんの顔いっぱいに飛び散ったセメントの粒が付いていました。
こちらに気付くとセメントの粒の顔に満面の笑みを浮かべて、
「日本から来たのかい? わしは昔、船乗りとして、八幡、広島、神戸へ行ったことがあるよ。よく来たね。この美しいカリムノス島を楽しんでいってくれよ。」
と、英語で話かけて来ました。その柔和な笑みが本当に印象的でした。自分が老いたとき、あのように人を包み込むような、柔和な笑みを浮かべることが出来るのだろうか。その日から、あのおじさんの笑みは私の目標となりましたが、とてもその境地に達するまでには至りません。
カリメラ(こんにちは)、エフハリスト(ありがとう)、というふたつのギリシャ語と共に、今でもあのおじさんの笑顔は心の中にずっと残っています。
さて、カリムノス島には途方もないクライミング・ルートが開拓されていました。2006年の段階で、エリア数は43、開拓されているクライミング・ルートは853。2週間やそこらの滞在でとても回り切れるものではありません。
その中で、興味を持った2つのクライミング・エリアの名前は、ILIADA、ODYSSEY。どちらもホメロスが書いた2つの叙事詩イーリアス、オデュッセイアにちなんでいます。そして、そのエリアで設定されているクライミング・ルート名はその2つの詩に登場する人物が中心。
例えば、ILIADAエリアのクライミング・ルート名は次の通り。
Paris, Beautiful Helen, Menelaos ・・・ トロイ戦争を起こした3人の張本人。トロイの王子パリスはスパルタ王のメネラオスから、その妻ヘレネを連れてトロイに逃げ帰りました。トロイ戦争はヘレネを取り戻すための戦争だったのです。
Ektor ・・・ ヘクトールはパリスの兄であり、トロイ最強の戦士。ギリシャ側に勝利目前まで追い詰めるも、最後はギリシャ最強の戦士アキレスに討たれてしまいます。
Priamos ・・・ プリアモスはトロイの王。ヘクトール、パリスの父でもあります。アキレスに討たれたヘクトールの亡骸は野ざらしにされたまま。見るに耐えかねたプリアモス王は危険を覚悟の上で、夜中に単独でヘクトールの亡骸を捜しに出かけました。
このPriamosという名前を付けられたクライミング・ルートは高さ31メートルの長いルートでした。グレードは6b+なのですが、その淡々としたルートにプリアモス王の苦悩が滲み出ているように感じたのです。トロイ王でありながら、その最愛の息子ヘクトールの亡骸を求めてさ迷い歩く父の姿。
このクライミング・ルートの名前を付けたクライマーはこのルートのどこかに、私が感じたものと同質の何かを感じていたのではないでしょうか。
ギリシャ・カリムノス島までやって来てクライミングをした価値は十分過ぎるほどにありました。それは自分にとってはひとつの大切な宝だと言えるものです。
<1分10秒ほどの映像>
https://www.originalcv.com/climbing/1606videoWorks/aWork/index.php?wnum=21 - メールマガジン No. 179 2018-07-01