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2008年03月20日

沖縄 「勝山シークヮーサー花香り祭り」とクライミング

080315top-nankuru.jpg  Fご夫妻が主催するFTGスクールの皆さんと、3月13日から16日まで沖縄へ行って来ました。もちろん、クライミングが主体だったのですが、十分に沖縄を満喫させていただきました。
 現地で、最初から最後までアテンドしていただいたAさんには改めて深く御礼申し上げます。

 これはその記録です。


 ビデオ作品「ちむどんどん 勝山」のオープニング映像はこちら

3月13日
 何かと野暮用が多く、あわただしい日々が続いていた。15時40分羽田発の便で出発するが、持って行くものの準備を始めたのはお昼を回ってから。何か忘れ物があるんじゃないかと不安になったが・・・。基本的に、タイに行ったときと同じものを持っていけばいいんだよなあ。

 Fご夫妻と共に、沖縄・那覇空港へ到着。むっとした生暖かい空気を感じるが、タイへ行ったときのような暑さではない。しまった。1枚の長袖を除けば、Tシャツしか持ってきてないんだけど・・・。
 
 それにしても、沖縄へは29年ぶりである。前回来たときは大学生で、かつ、旅行会社の添乗員のアルバイトという内容だった。今回は歳も目的もまったく違う。さて、どうなりますやら。


3月14日
 朝、起きるとあいにくの雨。今日は観光ということになった。

 那覇のホテルのロビーまで、Aさんに出迎えていただいた。Aさんの登山履歴を伺うと、出迎えていただくなど大変畏れ多いことだとわかった。気安く話かけることなどもったいないのだが、当のAさんは誰にでも気さくに声をかけ、やさしく、とても紳士的なのだ。山屋というのは何かと見栄を張ったり、えばったりするものだという先入観があるのだが、このような方もいらっしゃるのかと頭が下がった。

 まずは具志頭浜へ向かう。沖縄を代表するボルダーエリアを見ようということだ。遠浅の海に面した美しい奇岩群。傘をさしながらいくつかのボルダーを見て回った。
 第二次世界大戦のとき、沖縄上陸はここら辺りから始まったと聞いた。丸く見える水平線上に無数の軍艦が浮かんでいたに違いない。艦砲射撃が連日続く。それを想像しただけで足が震えた。

 地元クライマーの拠点と沖縄ガラス細工を見学。ひめゆりの塔でお参りをした後、海軍壕へ向かった。ここは旧海軍司令部跡だ。鍬やつるはしで掘ったという壕は生々しいが、大田實司令官が大本営に打電した「沖縄県民かく戦えり」はジーンときて目頭が熱くなった。

 そして、車で北上。残波岬のエリアを見た後、お菓子御殿に行き、そして、海ぶどうの直売所へ行った。生まれて初めて海ぶどうを食べた。食感がたまらなく良い。野菜のキャビアと言われるとんぶりのような感じだが、海ぶどうは海草の一種である。東京ではこちらの10倍の値段がつくという。適温は20度から27度。冷蔵庫へ入れると萎んでしまう。だから、保存が難しいのだ。

 今日一日の濃厚な観光を終え、那覇へ。夕食を終えても最後の一仕事。沖縄民謡を聞きに行かなくっちゃ。
 小さな店のドアを開け、私たちが入るとボックス席はいっぱいになってしまった。間髪入れずに、ステージで歌が始まる。最初からテンションが高い。隣の席のお客さんはこちらを「親戚連合」と呼び、踊れ踊れの合図。阿波踊りしているのか、何を踊っているのかわからなかったが、ま、とにかく手足を動かした。
 その後、店のお姉さんの踊り。お姉さんといっても私よりはずっとご年配。披露するのは、若い娘さんの踊りだという。踊りが始まるとびっくり。手のひら、肘の動きが柔らかで、足元の動きに無駄が無い。小首の傾きが洗練されていて、本当に美しい若い娘さんになってしまっているのだ。やあー、本当に美しいものを見せていただいた。ありがとうございました。


3月15日
 晴れた。私たちは観光に来ているのではなくて、クライミングに来ているのだ、ということを知らせてくれた。
 雨後の朝陽は眩しく、亜熱帯の木々の緑がみずみずしい。名護市勝山に着く。「勝山シークヮーサー花香り祭り」が今日明日と開催するのだ。私は勝山というところは大きい町なのだろうと思っていたが、地図で見ると小さな字だ。那覇で勝山へ行くと言っても、那覇の人達でもわからない人がいるかもしれない。
 今回で第4回を迎えた「勝山シークヮーサー花香り祭り」は、そういう意味で、勝山の町おこしの一環なのだ。同時に、ここで地元青年団の「勝山つたえ隊」から開拓が許可されているクライミングエリアも町おこしの意味を持っている。

(注:クライミングエリアに関するルール
1.「勝山つたえ隊」への入山届け
2.駐車は、「勝山つたえ隊」の事務所・あずまやの前に限定されている。けっして農道に入らないで下さいとのこと。<車の乗り入れは公民館のある峠まで>)

080314arukihajime.jpg さて、車を降りて歩きだす。シークヮーサーの花は白くて小さいが、咲くにはまだ少し早いようだ。シークヮーサーの畑を通り過ぎるとジャングルである。細い道に岩がごろごろしているが、これがまた滑る。なんとも歩きにくい。

 そうこうしているうちにニューエリアへ。ジャングルの中の岩場だ。まず、このエリアを見て思ったことは素直に開拓者に敬意を表したいということだ。このジャングルを切り開くのにどれほどの労力が必要か。今日も米軍のクライマーは木を切り、浮石を叩き、泥をかき落とし、黙々と作業を続けている。
 その横で、彼らが開拓したルートを登らせてもらう。何かちょっと申し訳ないような・・・。でも、彼らは「沖縄山岳会のためにもうひとつ作ったよ」とニコニコしている。
 では、遠慮なく登らせていただきます。

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5.10b5.10bツァラトゥーストラ 5.10b をナチュプロで登る

 岩質は石灰岩だが、そんなにとげとげしていない。まだ、開拓されたばかりなので、浮石には注意が必要だが、それも登り込まれることによって解決されるだろう。また。このエリアは木陰なので涼しい。グレード5.10台が多数あるので、初心者にも優しいエリアだ。

 ルートの途中まで登り、FTGスクールの皆さんを撮影させていただいた。皆さん、登り方がきれいですね。


3月16日
 昨夜はAさん宅にお世話になった。朝陽が美しく映え、なんとも心が落ち着くところだ。

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東の海から昇る朝陽朝露に濡れる花朝陽に映える花

 しかし、今日の予定もあるので、早々と出発する。
 今日行く岩場の名前は、我謝汝姑ばんた(通称:ロストワールド)である。岩はしっかりしていて、ガバなので、ちょっとプラナンを思い出したりする。また、途中から煙突状に穴が開いており、それを登っていくという変わったルートもある。
 Sさんはこのエリアの看板ルート「なんくるないさー 5.11d 」を登るというので、撮影することにした。

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なんくるないさー 5.11dなんくるないさー 5.11dなんくるないさー 5.11d ニーバーを決めノーハンドレスト

 昼過ぎに撤収。勝山シークヮーサー花香り祭りで、闘ヤギ(ヒージャーオーラセー)を開催するというのでそれを見に行く。ヤギとヤギとの闘いだが、結構激しい。

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ヒージャーオーラセーヒージャーオーラセーヒージャーオーラセー

 そして、忘れてならないのが、勝山のシークヮーサー。絶品である。ここのシークヮーサーを味わうと他のシークヮーサーは味気なくなる。地元の泡盛と勝山のシークヮーサーのブレンド。何杯飲んでも飲めてしまう。違う意味で最も危険な組み合わせだ。皆さん、要注意!!


 最後はAさんに那覇空港まで見送っていただいた。今回は短期間でも相当に濃厚な旅だった。次の行動が予測できず、新しい発見が次から次へとあった。世の中にはまだまだ知らなくて、面白いことがいっぱいある。案内をしていただいたAさんとFTGさんには感謝、感謝です。

 そして最後に、FTGスクールの皆さんは明るくて和やかでいいですね。
 Fご夫妻もそうなのだが、生徒さんの中にも膝を故障されている方がいらっしゃる。「手術をするとクライミングできなくなるから、しない。」とおっしゃっていた。痛みをこらえて大変だと思うが、クライミングの楽しさと、そして、このスクールの楽しさが無くてはならないものになってるんだなあと感じた。


 「ちむどんどん 勝山」。 そして、「ちむどんどん クライミング」ですね。

 (ちむ=胆 どんどん=どきどき すなわち、わくわくどきどき)

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投稿者 sue_originalcv : 2008年03月20日 12:04

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コメント

お疲れ様でした。

太田実司令官の「沖縄県民かく戦えり」は実に立派な文章でしたね。

海軍司令官という本来の立場を越えた当該報告書は、辛酸をなめた沖縄県民の誇りをたたえる内容であり、読む者の心臓を鷲づかみにします。

沖縄戦で犠牲になった多くの人々のおかげで、クライミングできる今の幸せがあることを痛感しました。

投稿者 Shin : 2008年03月24日 13:03