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2008年10月11日

イタリア旅行記 ~スペルロンガ・フィレンツエ・ローマ~

 9月26日から10月8日までイタリアへ行ってきました。
 スペルロンガではGrotta dell'Areonautaという良質の岩場でクライミングを楽しみ、フィレンツエではルネッサンスに浸り、そして、ローマでは古代ローマとヴァティカン博物館に圧倒されました。私にとっては始めてのイタリアでしたが、非常に大きな刺激を受け、勉強になりました。
 今回も最初から最後までお世話になったTさんご夫妻にはあらためて感謝します。

 ビデオ作品「クライミングと歴史探訪 ~スペルロンガ・フィレンツエ・ローマ~」のオープニング映像はこちら

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スペルロンガ・・・Pareti di Sperlonga avancorpiフィレンツエ・・・ヴェッキオ橋ローマ・・・ヴァティカン博物館

9月26日 Sperlongaへ
 25日21時55分成田発のエール・フランスでパリへ飛んだ。シャルル・ド・ゴール空港に陽が昇る前の気温は10℃。コートを着てマフラーをしている人も入れば、Tシャツの人もいる。私たちはこれから暖かいローマへ行くので、厚着は必要ないと思うが‥。

 パリからローマへ向かう。飛行時間は2時間。ローマ・フィウミチーノ空港に予定通り、26日午前9時20分に着いた。

 空港からテルミニ駅直通のLeonardo Expressに乗る。列車に乗る前にチケットを自動刻印機で刻印することを忘れなかった。テルミニ駅はローマ中心部にある始発駅だ。ここから、列車は地方へと向かう。
 時刻表で、ナポリ方面へ向かう午前11時49分発、列車番号2393のプラットホーム番号を探す。14番だ。

 さて、この14番のプラットホームへ来たが、そこに入っている列車に乗客は乗っていない。おかしいなあ。発車10分前でも状況は変わらない。益々おかしい。
 駅の中央へ戻って掲示板を調べると、私たちが乗るべき列車のプラットホーム番号は12番だ。変更になっている!
 慌てて移動して、この列車に乗り込んだ。やれやれ。

 発車するとき、日本なら出発のブザーなどがなり注意を喚起するが、こちらではそういう合図はない。発車の定刻になると、静かに発車する。なんだか不気味だ。列車はペンキで落書きされていても気にも留めないようだし、お国柄だろうなあ。

 さてさて、私たちはFondi駅で降りる予定なのだが、車内のアナウンスは一切ない。列車が止まっても、即座にその駅がなんという駅なのかがわからない。降りて良いのやら、降りて悪いのやら。そこで、乗客を観察した。
 自分が降りるべき駅へ近づくとおもむろに乗降口へ行き、列車が止まったら手動で扉を開けて降りている。確かに、わかっている人にはそれでよいかもしれないが、私たちにとってはできない相談だ。

  結局、列車が止まりそうになると、下車しようとしている人たちに向かって毎回、「次はFondi駅ですか?」と尋ねるしかなかった。もう少し真面目にイタリア語を勉強してくればよかった。今更、悔やんでも仕方がないけど‥。

 ローマから1時間10分かかって、ようやくFondi駅に着いた。駅前は殺風景だ。バス乗り場とタクシー乗り場以外は何もない。ここでSperlonga行きのバスを待つ。
 考えてみれば、ここはローマからプリンディシへ続く、アッピア街道沿いなのだ。ローマ共和国が最初に敷設した街道。日本なら東海道。街道沿いはオリーブや葡萄畑が目立っていた。
 定刻より遅れてバスが到着したが、若者で満席だ。この殺風景なところのどこに、彼らは住んでいるのだろう。そして、目的地のSperlongaに到着した。そこは、白い砂浜のビーチが続くきれいなリゾート地だった。

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SperlongaのビーチSperlongaの港Sperlongaの夕陽


9月27日 Spiaggia dell'arenautaというクライミングエリア
 朝は少し肌寒いぐらい。しかし、湿度が低いので、爽やかだ。

 泊まっているホテルはGrazia Hotel。街の端に位置し、清潔で、こじんまりとしている。家族経営のアットホームな感じがよい。

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Grazia HotelSperlongaの通りSperlongaの建物

 ここの柔和なオーナーに聞くと、よいクライミングエリアはふたつあるという。ひとつは4つトンネルをくぐった先にあるPareti di Sperlonga avancorpi。そして、もうひとつは上のエリアからさらに遠いが、ビーチの近くにあるSpiaggia dell'arenauta。どちらへ行くにも、バスに乗っていかねばならない。

 バスのチケットは「T」の看板のある店で売っている。早速、店に入ると、おじいさんがいた。Tさんが「クライミングエリアに行くので、3人分。往復6枚下さい。」と言うと、そのおじいさんは驚き、Tさんに向かって「あんたも登るのか?」  東洋人はたくましいと思ったに違いない。

 9時30分発のバスに乗り、Tさんが運転手に略地図を見せて、Spiaggia dell'arenautaで降ろして欲しいと依頼した。不可解な様子の運転手であったが、私たちはそれらしいところで降ろされた。購入したバスチケットを渡そうとすると「いらない」という。怪しい。
 道路から歩いて砂浜のビーチへ出ると、ずーっと砂浜のビーチだけだ。岩場らしきものはない! 胴着を着た武道をしているような一団がいた。益々怪しい。

 ビーチにあるレストランの人に聞くと目的地はもっと先だという。
 車道に戻って歩き始めた。登りが続く。しかし、一向に着かない。2キロぐらいは歩いただろうか。パーキングがあって、そこから遥か下に見えるビーチへの降り口を見つけた(L'ultima Spiaggia)。

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Sperlongaのバス停延々と車道を歩くL'ultima Spiaggiaの降り口

 傾斜のきつい階段を降りて行くと、ビーチに着く辺りに小屋があり、水着姿の怪しげなおじさんがニコニコして話しかけてきた。「有料だよ。クライミングは2ユーロ。」
 このおじさんに近くの岩場情報を尋ねると、二つあるという。ひとつは小屋から右手側でビーチ沿いにあるApprodo dei proci。もうひとつは小屋から左手側で少し上がったところにある洞窟Grotta dell'Areonauta。

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クライミング2ユーロと書かれたボード小屋にいる怪しげなおじさんLo Sprito Di Sperlonga 6a+ 14m

 今日は前者の岩場へ行くことにする。
 小屋から20メートルぐらいに岩場がある。フェースでしっかりとした石灰岩だ。Addio Mummie 5b 24m,
Lo Spirito Di Sperlonga 6a+ 14mを登った後、Oscrita Bianca 6a+ 20mに取り付いた。
 これは面白い。7メートルほど登るとテラスになっている。そして、1.5メートルほどのルーフがある。ルーフの出口にボルトがあるが届かない。なんとかそのボルトにヌンチャクをかけてトライ。体を水平にして手を伸ばすとリッジ状のガバが取れ体を挙げていく。しかし、そのリッジ状のガバだけを使っていたのでは乗り込めない。そこにアンダーを発見。めでたし、めでたしとなる。
 そこから、眺める海はきれいだ。青くて澄んでいる。弓状の白い砂浜が続き、岬には古代城壁のような見張り台のようなものが建っている。眼下にはいくつかのファミリーがパラソルを開いている。犬と子供は浜辺で遊び、お母さんはセミヌードで日焼けしている。のどかな風景だ。

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Oscrita Bianca 6a+ 20mVivaldi 6b 10mパラソルを開いているファミリー

 さて、帰りのバスの時刻が近づいてきたので車道まで上る。反対側の車線で待っていたが、バスは留まらずに行ってしまった。あーあ。

 次のバスが来るのは3時間後。仕方なく、この携帯でホテルに電話し、タクシーを呼んでもらった。まだまだ要領を得ないことが多いのだ。


9月28日 Grotta dell'Areonautaという大洞窟
 今日は日曜日。さすがに通りは人で溢れている。若者が多いことに少しびっくり。

 さて、今日も引き続きSpiaggia Dell'Areonautaへ行く。日曜日はバスの運行がないので、ホテルからタクシーで向かう。タクシーの運転手は昨日が奥さんで、今日が旦那さん。つまり、夫婦で一台のタクシーを使っているわけだ。

 タクシーを降り、ビーチへ下り、例の小屋から左手側に進む。ビーチから見上げると洞窟の上部が見えた。
 「なんだ、アレか。ギリシャ・カリムノスのGrand Grottaから比べると小さいな。」

 さらさらして歩きにくい砂山の上に出ると思わず叫んだ。
 「うぉー、コレか。」

 洞窟は砂山からぐっと下に広がっており、すごい大きさなのだ。なんでこんな洞窟がこの美しいビーチ沿いに突如現れるんだ? 場違いな感じは否めない。でも、コルネがにょきにょきと出て、傾斜のきつい石灰岩は一目で人気エリアだということがわかる。壁には無数のルートが洞窟の天井まで延びに延びている。豪快そのものだ。

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下から見ると洞窟の上部しか見えないが・・・砂山に上がると・・・Invidia (1 catena) 6b 12m

 久しぶりに良質の前傾に取り付く。Invidia (I catena) 6b 12m, Abbaaida Ba....nu Purcu 6b 12m, Cavalieri Selvaggi (I catena) 6b 8mを登った。
 日曜日なので、地元のクライマーも集まってきた。すいすいと天井まで登っていく。このような良質の岩場が近くにあればうまくなるだろうなあ。

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Invidia (1 catena) 6b 12mAbbaaida Ba....nu Purcu 6b 12mCavalieri Selvaggi (1 catena) 6b 8m

 洞窟にも陽が差し込んできたので、ビーチに出る。水着に着替えてひと泳ぎした。水は透き通っているが、少し冷たい。魚がいなかったので、プールを泳いでいるような感じ。それでも、地中海で泳げたのだから満足だった。


9月29日 隣町Gaeta
 今日はレスト日にしたので、隣町のGaetaまで行ってみることにする。
 バスに乗って東へ向かう。右手に地中海を見ながら進むと、Gaetaの町に入ってきた。

 「ところでどこで降りればいいの?」
 「終点で降りればいいんだよ。」

 そうこうするうちに、バスはGaetaの町を通り過ぎてしまった。次の町へ向かっているようだ。途中で降りるのも不安だし、こうなれば覚悟を決めて終点まで行くしかない。大きな町に入り、たくさんの人がバスに乗り込んでくる。
 そして、ようやく終点に着いた。ここはFormiaの駅前である。

 ところで、Formiaって、どこ? GaetaとSperlongaとの位置関係はどうなっているの?

 Formia駅の売店に入り、地図を買った。なるほど、東へ行き過ぎちゃったわけだ。

 Sperlongaに向かうバスはすぐに出ていないが、まずはGaetaまで戻ることにした。再びバスに乗り、Gaetaへ向かう。このバスはGaetaが終点ではなく、Gaetaを通り過ぎて他方面へ行ってしまう。つまり、Gaetaの町に入ったら、どこかで降りねばならない。

 さて、どこで降りるか。答えは簡単。人がたくさん降りるところで一緒に降りちゃう。

 そして、そのチャンスがきたので、私たちもバスを降りた。たくさんのヨットが停泊している港のそばである。

 次はSperlongaへ向かうバスの停留所を捜さねばならない。あちらこちらのバス停に行き、行き先を捜すが、Sperlonga行きは見つからない。道を行き交う人にも英語で聞くが、イタリア語の回答が帰ってきて要領を得ない。

 Tさんが道を尋ねるために入ったカフェから出てくるとき、後ろから呼び止められた。見覚えのある顔だ。

 それは昨日乗ったタクシー運転手の旦那さんだったのだ。何か飲まないかと誘われてカフェに入ると奥さんもいるではないか。

 縁というものはわからないものだ。

 旦那さんからはカプチーノをご馳走してもらった。ありがとう。そして、私たちの課題も解決してしまった。彼らのタクシーで帰ればいいのだから。

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Gaetaの港松並木・・・日本と違い、下枝を落としているタクシー運転手のご夫婦


9月30日 Pareti di Sperlonga avancorpiというクライミングエリア
 朝は長袖がいるぐらい冷え、昼は半袖で十分なほど暑い。そして、乾燥しているので過ごしやすい。そのような毎日が続いている。

 バスに翻弄され続けている私たちだが、そろそろ学習効果が出てもよい頃だ。
(1) バスは定刻より10分ほど早く来る。つまり、定刻通りにバス停に行ったら乗り遅れてしまうということ。早めにバス停に行くことが必要。
(2) バス停はFermataと書かれたところ。ところがFermataと書かれていなくてもベンチがあるところや、普通の街角で留まったりして、極めてわかりずらい。そして、それぞれのバス停に名前がないので、予め降りるバス停を指定しようがない。
(3) チケットは「T」の文字の看板のある店で買う(1ユーロ)。バスに乗る時、チケットを刻印機に挿入し、打刻しておく。
(4) 次のバス停で降りる時は降車ボタンを押す。これは日本と同じだ。

 今日はPareti di Sperlonga avancorpiのエリアへ行くことにした。Gaeta方面のバスに乗り、4つ目のトンネルを過ぎたバス停で降りる。今日は翻弄されることなく完璧にバスを利用!

 少し戻るように歩き、4つ目のトンネルの上部がクライミングエリアだ。

 石灰岩のスラブで、4から6レベルの易しいルートがたくさんある。5本ほど登ったが、南向きの壁は日陰になるところがまったく無く、干上がってしまった。
 30人ほどの体格の良い警察官が来て、ロープの結び方などの講習を受けていた。ご苦労様である。

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アプローチ果敢にリード美しい湾

 ホテルの部屋に戻ってシャワーを浴びのんびりして、午後8時に階下へ降りた。こちらの夕食時刻は午後8時から。午後6時ではまだレストランが開いていない。
 本日の夕食はあさりのパスタに魚のムニエル。現地の白ワインで食し、満足。

 ここSperlongaでの滞在も残すところあと1日となってしまった。


10月1日 再びGrottaへ
 朝、雨が降っていた。Sperlongaでの最後のクライミングはGrotta dell'Areonautaへ行くことにした。前回、この場所に来たとき、地元のクライマーが登っていた天井を這うようなルートを私たちもトライしたいと思ったからだ。

 Grottaへ到着すると、ドイツ人家族がすでにいくつかのルートを登り始めていた。
 私たちは的を絞って、Fini E Forti 7b! 12mに取り付いた。このルートは12mからさらに延び、洞窟の天井を這って、その出口まで続いている。
 かぶってはいるものの、ガバの連続なので、天井付近まで登ることができた。しかし、そこから先はほぼ水平で完全なルーフだ。残念ながら今の私の実力ではこれ以上進めなかった。
 でも、久しぶりに豪快なクライミングを楽しむことができた。満足、満足。

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Fini E Forti 7b! 12mFini E Forti 7b! 12mNon Lo Escludo 6b 13m

 さて、明日からフィレンツェに向かう。歴史と美術探訪の旅である。


 クライミングの話はここまで。歴史と美術に興味のない方はこれ以降端折って下さい。
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10月2日 Firenzeへ
 朝、名残り惜しいホテルの皆さんに別れの挨拶をして、Fondi駅へ向かった。

 Fondi駅からRoma TE駅までは普通列車で6ユーロ。Roma TE駅からFirenze駅までユーロスターで38ユーロ。前者と後者で距離は2倍も違わないのに値段は6倍以上違う。日本に例えるなら、普通列車に乗るのはやめて、新幹線に乗れということだ。何か釈然としないが‥‥。

 Firenzeの町は石畳と石の建物で埋め尽くされている。緑がないので、重苦しい感じだ。しかし、町の南に流れるアルノ川に出ると開けた感じでホッとする。

 夕方、時間があったので、ミケランジェロのダビデ像が置いてあるアカデミア美術館に行ってみると、入場待ちの長蛇の列。あっさりと入場を諦めた。このように人が多いのであれば、明日から思いやられる展開になりそうだ。

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サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会の天井画


10月3日 Uffizi美術館
 Firenzeに来て、Uffizi美術館に行かなければ、Firenzeに行ったことにならないのではないか。

 メディチ家の威信をかけて収集したルネッサンス美術がここにあるのだ。

 10時に予約を入れていたので、その時刻10分前に美術館へ行くとスムーズに入館することができた。一方、予約無しの人は長蛇の列だ。まさに天と地の違い。
 塩野七生さんは「見れば分かるので、美術品の評論はしない」とどこかに書いてあったような気がする。それでも、日本のどの教科書にも載っており、ルネッサンスを代表するボッティチェッリの「春」や「ビーナスの誕生」は目を引いた。すごい人だかりだ。

 美術館から出るとへとへとだった。とても3時間そこらで見きれるものではないが‥‥。

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ウッフィツイ美術館ヴェッキオ宮ヴェッキオ橋


10月4日 Firenzeの中央市場
 Firenzeの町は、それ自体がルネッサンスを残していると言え、14ー15世紀にタイムスリップした感覚になる。一方、ここで実際に生活をする身となると不便を感じる。なぜなら、近くに大きなコンビニやスーパーマーケットがないから。私自身の体の中に、日本の流通が染み込んでしまっているのだ。

 そんななか、中央市場はフィレンツェの唯一の大きなマーケットだ。肉、チーズ、果物、野菜など豊富で見ること自体も楽しい。今日はここで焼き上げられたチキンをまるごと一匹買ったので、ワインと共に楽しむことにした。

 さて、こちらのワインだが、品種が多く、日本では手に入らないものばかり。だから、1本でも多くここで味わってみたい。とはいえ、ワインもピンからキリまであり、どれを飲んでよいかわからない。

 そこで参考になるのがイタリアワインの等級である。テーブルワインVino da Tavola、生産地表示典型ワインI.G.T、統制原産地呼称D.O.C.ワイン、統制保証原産地呼称D.O.C.G.ワインの4つに分けられる。
 となれば、日本で買ったら高値がつくD.O.C.G.ワインを選ぶのが必然である。

 というわけで、本日も美味しくいただきました。ごちそうさま。

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中央市場前の出店カラフルだ中央市場で買ってきたチキン


10月5日 ローマへ
 ローマを歩き回るとき頭に入れておきたいのが、七つの丘だ。古代ローマはこの七つの丘から始まった。
 カピトリーノの丘 ・・・ ローマの神々が祭られているところ
 パラティーノの丘 ・・・ ローマの建国者ロムルスが最初に住み着いたところ
 アベンティーノの丘 ・・・ ロムルスとは双子の兄弟であるレムスが住み着いたところ
 クィリナーレの丘 ・・・ サビーニ族が住み着いたところ、現在は大統領官邸
 チェリオの丘 ・・・ アルバ人が住み着いたところ
 ヴィミナーレの丘 ・・・ エトルリア人が住み着いたところ? 現在は内務省
 エスクィリーノの丘 ・・・ エトルリア人が住み着いたところ?

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カピトリーノの丘・・・市庁舎パラティーノの丘・・・スタディオクィリナーレの丘・・・大統領官邸

 Roma Termini駅から地下鉄に乗り換えて、Repubblica駅で降りた。一駅である。目的地は宿泊予定のHotel Italiaだ。ここはクィリナーレの丘とヴィミナーレの丘の間にあるが、わかりにくかった。

 まず、ホテルの看板がA4サイズぐらいでとても小さい。Nazionale通りからぱっと見てもすぐにはわからない。
 次に、この小さな看板の下に来て、建物の扉を開けても何もない。無表情な部屋の扉とエレベータ、そして、エレベータの周りを螺旋状に上る階段があるだけだ。

 おそるおそる階段を一周、二周とまわると、ようやくホテルのフロントが現れた。やれやれ。

 受け付けが終わり、部屋へ案内するというので付いていくと、ここに入って来た階段を降りてこの建物から出てしまった。ひとつ通りを隔てて向こう側の建物の扉を開け、入った。また、同じような階段を上り扉を開けたところに宿泊用の部屋があった。ホテルというよりは、間借りの部屋といった感じだろうか。
 また、恐れ入ったのは、この建物のエレベータが有料なのである。バリアフリーなんていう考え方はないようだ。

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ホテルの小さな看板建物の扉を開けると・・・フォロ・トライアーノ

 荷物を置いて、Nazionale通りを南西に下っていくとフォロ・トライアーノがあり、カピトリーノの丘からパラティーノの丘にかけて遺跡群が続く。共和制ローマ時代の政(まつりごと)はここで行われた。感慨深くもあるが、観光客が多いので古代ロマンに浸るという感じではない。この人の多さを考えるとSperlongaが懐かしい。

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フォロ・ロマーノフォロ・ロマーノ・・・サトゥリヌスの神殿コロッセオ


10月6日 ヴァティカン博物館
 地下鉄のOttaviano駅を出て南に下るとヴァティカン市国の城壁が見える。この城壁を取り巻いて、長蛇の列が出来ていた。何も疑わずに、この列の最後尾に並ぶ。ゆっくりと進んで30分ほどでヴァティカン博物館の中に入った。

 数々の美術品がところ狭しと並べられているが、延々と続く広間の壁画に圧倒された。世界中から見学に来た入場者で通路は満たされ、いやがおうでも、入場者はところてん式に前に進まなければならない。
 そして、ミケランジェロの有名な「最後の審判」や「アダムの創造」があるシスティーナ礼拝堂で、混雑はピークを迎える。荘厳な礼拝堂と少しでも長くその空間に浸りたい入場者。厳粛と混雑の緊張が異様な雰囲気を醸し出しているが、少し引いてみると何かしらコミカルのようにも思える。

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城壁に沿った長蛇の列ヴァティカン博物館ラファエロ「アテネの学童」

 若きラファエロの「アテネの学童」も魅せられているうちに、後ろから押し出されると、自分の中で鑑賞したいという意欲が急に衰えた。
 この後も美術品がおかれ、壁画に満たされた広間が延々と続く。まさに鏡に映し出されたフラクタルだ。

 このヴァティカン博物館の目的は入場者にカトリック教の富と威信を見せつけることにある、と思うのは私だけであろうか。

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ラファエロ「聖体の論議」延々と続く広間 鏡に映し出されたフラクタルのようサン・ピエトロ大聖堂

 この後、テベレ川を東に渡り、アグリッパが創建し、ハドリアヌス帝が再建したというパンテオンへ行った。ローマのすべての神に捧げられた神殿だ。
 ここに入ると何かしらほっとした。日本人が八百万の神を信じたように、ローマ人も多くの神を信じた。その共通点が何かしらこの神殿に親近感を感じさせるのかもしれない。

 一神教は人間が神の掟に従って生きていかねばならないが、多神教は人間が生き、必要なときにその場に適した神に助けを乞う。前者は神が主体、後者は人間が主体、と言ったのも塩野七生さんだったっけ?

 そして、ここにはラファエロの墓もある。その墓碑には次の一文が書かれている。
ILLE HIC EST RAPHAEL TIMUIT QUO SOSPITE VINCI RERUM MAGNA PARENS ET MORIENTE MORI
英語訳 (Here lies Raphael, by whom Nature feared to be outdone while he lived, and when he died, feared that she herself would die.)
日本語訳 (ここにラファエロ眠る。彼が生きていたとき、自然は彼に出し抜かれるのではないかと恐れ、そして彼が死んだとき、彼女(自然)は自分自身が死んでしまうのではないかと恐れた。)

 その格調の高さに、シビレてしまうではないか。

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パンテオンパンテオン・・・天窓から入った光ラファエロの墓


10月7日 ボルゲーゼ美術館
 緑豊かな公園の中に、ぽつんとボルゲーゼ美術館がある。

 階下で入場券を購入し、財布以外のすべての手荷物をクロークに預けた。入場券には入場時刻11:00と退場時刻13:00が書いてある。この美術館は珍しく、2時間毎の定員入れ替え制なのである。
 だから、入場し2時間以内であれば、ある広間のある美術品だけを長く鑑賞していてもかまわない。そして、順路に従う必要もないので自由に美術館内を歩き回ることができる。

 さて、第一に感じることは完璧な調和である。絵画、彫刻などの陳列と広間の柱や壁画の設計が完全なのだ。何かひとつの美術品を移動しただけで、その調和は崩れてしまうように思う。

 ある広間の壁画は窓から入った光に対する射影として描かれている。そのため、柱や彫刻が浮き上がっているように見える。そして、次の広間に入ると、壁画と思っていた柱や彫刻が実際のリアルなものであったりするのだ。平面と立体の錯綜。それは豪華絢爛な万華鏡のようだ。

 この美術館で際立っているのが彫刻である。ベルニーニの「アポロとダフネ」、カノーバの「パオリーナ・ボルゲーゼ像」は圧巻である。後者はベッドのシーツの皺まで、大理石に彫刻している。大理石が柔らかいベッドのようだ。

 2時間の終了時刻も近づいてくると、入場者も減り、大きな広間の美術品を一人で見れるようになる。贅沢の極みである。

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ボルゲーゼ公園内の松並木ボルゲーゼ美術館お手水

 夕方、一人でパラティーノの丘とフォロ・ロマーノへ行ってみた。ローマに来たら必ず見たいと思ったところだ。
 紀元前753年4月21日、ロムルスはローマを建国した。そして、ロムルスが住み着いたところが、ここパラティーノの丘だ。さわやかな風が西から吹き上がる。今は遺跡ばかりだが、昔は高級住宅地。キケロもここに住まいをもつことにこだわった。
 このパラティーノの丘を下っていくと、フォロ・ロマーノに入る。古代ローマの政(まつりごと)が行われたところだ。元老院もここにある。エドワード・ギボンはこのフォロ・ロマーノを訪れて歴史的名著「ローマ帝国衰亡史」を書いたといわれる。
 ギリシャ・アテネの象徴がパルテノン神殿としたら、ここフォロ・ロマーノは古代ローマの象徴である。

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パラティーノの丘パラティーノの丘パラティーノの丘から見たティトゥス帝の凱旋門とコロッセオ


10月8日 ディオクレティアヌスの浴場跡
 ホテルから近いディオクレティアヌスの浴場跡に行ってみることにした。

 紀元300年頃に造られたこの浴場は一度に3000人が使用できたという。今は、駅の通りの騒音をよそに、静けさを保っている。中央には小さな噴水があり、それを囲むように樹木が植えられ、ベンチが配置されている。
 私たちもそのベンチのひとつに腰掛け、ひとときの休憩をとっていた。

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カピトリーニの丘から見たローマに揚がる朝陽ディオクレティアヌスの浴場跡ディオクレティアヌスの浴場跡

 すると、流行りのブランドファッションで身を固めた二人の若い日本人女性が通り過ぎていった。いかにも今ふうであるが、仕草が子供っぽい。

 その後、荷物を抱えた浮浪者ふうのイタリア青年がやってきた。ベンチに荷物を置き、靴を脱いで噴水の泉に近づいていった。そして、体を屈め、片足を泉につけて足の指をゆっくりと洗った。洗い終わって泉から片足を上げると、片手でゆっくりと水を拭う。そして、もう一方の足も同様に洗った。
 次に、手をきれいに洗って、水で濡らした片手を乱れた髪に当てて、ゆっくりと髪を整えた。その仕草がゆったりとして優雅なのである。

 若い二人の日本人と浮浪者ふうのイタリア人。仕草があまりに対照的だった。そこで、ふと思った。

 ゆったりとした優雅な仕草は彼らイタリア人が本能的に持っているもので、日本人には根付いていないものではないか。
 そして、そのイタリア人が本能的にもっているゆったりした優雅な仕草こそ、ルネッサンスの人間の美の核となるものではないか。今回、印象に残っているボッティチェリ、ミケランジェロ、ラファエロの作品の人物の動作はどれもゆったりとした優雅さをもっている。ルネッサンスの天才たちはそのゆったりとした優雅な仕草を断片的に切り取り、完璧に表現しているように思う。

 一方、日本にも独自の美がある。
 日本人の仕草が日本の美の核となっていると仮定するならば、その仕草とはどのようなものだろうか。そんなことを考えながら、今度は日本を旅してみたいと思う。

 そして、また頭をよぎるのは、クライミングの洗練されたムーブもいつかは芸術作品として昇華されるときが来るかもしれない、なーーーんて。

投稿者 sue_originalcv : 2008年10月11日 09:53

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コメント

再読させて貰いました。 以前とは違った読後感が得られた原因は何処にあるのか? 判断出来ませんが楽しく、羨ましく読ませて貰いました。 末次さんの文章には何時も感心させられております。 この様に流麗な文章を私も書き上げたいモノです。
特に、最後の行は普段私も感じている事です。 アーティスティクにクライミングをしたいと願っている私にとって、クライミングと云う行為はアートそのものと思っております。 城山又お誘い下さい。 

投稿者 MITSURU-GOZU : 2009年01月07日 19:22

コメントいただきありがとうございました。城山にはまたお誘いします。アイスクライミングのご指導の程もよろしくお願いします。

投稿者 sue_originalcv : 2009年01月08日 02:30