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2011年10月16日

Ravenna (イタリア旅行記 ~フィナーレ・リグレ、ラベンナ~)

 朝、Modenaを出発し、Bolognaで乗り換えて、Ravennaに到着した。

 まず、街の北東にある東ゴート族テオドリック王の廟へ向かった。520年頃に建造されたというから保存状態はかなり良い。
 なぜ、ゲルマン民族の王の廟が破壊されずに、現在まで残っているのかと不思議がる方がいるかもしれない。水戸黄門のように分かりやすく、ローマ人が善で、ゲルマン民族が悪という勧善懲悪のようにはならないのである。

 Ravennaに都を遷したホノリウス帝が自ら唯一行ったことは、ヴァンダル族の血をもちながら、最後のローマ人と言われた軍総司令官のスティリコを処刑したことである。これによって、西ローマ帝国を守る人はいなくなった。スティリコの下で戦っていた傭兵も西ローマ帝国を見放し、西ゴート族アラリック王の下に鞍替えしてしまった。ローマはアラリック王の前に無防備となり、徹底的に略奪された。
 その後、西ゴート族はイベリア半島に移り、代わって台頭したオドアケルによって西ローマ帝国は滅ばされた。そのオドアケルを倒して移って来たのが、東ゴート族のテオドリック王であった。

 テオドリック王は善政を行ったのである。イタリア全土の民衆が願っていたことはひとつ。略奪されないような平和な世の中。東ゴート族が防衛軍となり、他のゲルマン民族からイタリア全土を守る。そして、行政全般はこれまで通りローマ人たちが行うようにしたのだ。統治するのは東ゴート族だが、その他一切はローマ人にやらせたのである。一時的にもイタリア全土に平和が戻ったのだ。
 テオドリック王が死を迎えたとき、東ゴート族もローマ人もすべてが涙したという。だからこそ、テオドリック王の廟は現在までも残っているのだ。

 次に、サン・ヴィターレ教会へ向かった。見事なモザイク装飾だ。主祭壇左側の壁面上部に「ユスティニアヌス帝が宮廷人を従えた図」がある。もちろん、中央はユスティニアヌス帝だが、その右側にいるのがベリサリウスである(右から4番目)。
 ユスティニアヌス帝が行った偉業は3つある。1.ハギア・ソフィアの建立 2.「ローマ法大全」の編纂 3.旧西ローマ帝国の再復
 この旧西ローマ帝国の再復をなしとげたのが、ベリサリウスである。限られた兵士を率いて、北アフリカのヴァンダル王国を壊滅させ、東ゴート族をイタリアから追い出した。しかし、晩年、彼は皇帝暗殺の陰謀をめぐらせたという罪で、全資産の没収と自宅軟禁に処せられた。 
 565年、ベリサリウスは死を迎え、そして、その8ヵ月後にユスティニアヌス帝も後を追った。

 そして、今残っているのは、サン・ヴィターレ教会の美しいモザイク壁画だけなのだ。

東ゴート族
テオドリック王の廟
サン・ヴィターレ教会ユスティニアヌス帝が
宮廷人を従えた図

投稿者 sue_originalcv : 2011年10月16日 04:02

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