2006年10月18日

ギリシャ・カリムノス島旅行記 (付 アテネ滞在記)

 ホメロスのイーリアスとオデュッセイア(トロイ戦争を描いたヨーロッパ最古の叙事詩)にちなんだクライミングルート名が数多くある。美しい景色ばかりでなく、歴史と文化を織り込んだ四次元のクライミング世界。エーゲ海に浮かぶカリムノス島は私たちに古くて新しいクライミング・スタイルを提供しようとしている。

 ビデオ作品「Homer sometimes ... - Climbing in Kalymnos -」のオープニング映像はこちら
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9月22日(金) カリムノス島到着 
 9/21に、英国航空で成田→ロンドン→アテネと飛び、アテネでローカル線のオリンピック航空に乗り換えて、アテネ→コス島に飛んだ。今回は航空チケットや宿の手配を含め、何から何まで武中ご夫妻にお世話になってしまった。
 コス島からのボートでカリムノス島の港に入る。そこは地中海によく見られるようなヨットハーバー。まさにリゾート地。朝はのどかな人々の「カリメラ」という挨拶が耳につく。今回はコス島の飛行場に降りてボートでカリムノス島へ入ったけれど、この8月からカリムノス島の飛行場がオープンしたとのことなので、もっと便利になったようだ。
 タクシーでマスーリへ向かう。くねくねとした細い道をかっ飛ばしていくのだが、街路樹の幹の根元から1メートルくらいまで、白いペンキが塗られている。夜に真っ暗になる道の反射灯の役目をするそうだ。また、このペンキにアスベストが少量混ぜてあり、虫の駆除に役立っているという。ちょっとこれでいいのかなあとも思うけれど・・・。
 マスーリへ着くと、カフェにいるのはクライマーばかり。ドイツ人とイギリス人が多いようだ。昨年もいらしている武中夫妻は、再びよく来てくれたという地元の人達一人一人と固い握手を交わしていた。宿は、バンガローと呼ばずに、スタジオ(studio)と呼ぶ。この白くてこじんまりとしたスタジオの部屋のベランダから外を眺めるとコバルトブルーの海に島が浮かんでいる。とうとう来たなという実感がじわりと湧いてきた。
 早速、体を慣らしにPoetsというエリアで5cから6a+の簡単なルートを登った。石灰岩でフリクションはよい。部屋に戻りシャワーを浴びて、ベランダでワインを飲みながら美しい夕陽を眺めた。ようやく長いカリムノスの一日目は終わった。

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コス島エアポートの朝陽カリムノス島の港街路樹の根元に塗られた白ペンキ


9月23日(土) 美しい夕陽
 朝、7時ぐらいに明るくなってきた。あいにくの曇り空だ。日本との時差は6時間(遅れ)。だが、まだ時差ボケが残っている。ぼーっとしたまま、ビーチに降りていく。玉砂利の海岸線には、閉じたビーチパラソルが続く。夏のリゾートシーズンは去ったようだ。しかし、暖かい日に、このコバルトブルーの海をぜひとも泳ぎたいと思っている。
 今日も近場のPoetsエリアに行く。午前中、MUSTASS 5c, STYX 6a+, OREADS 6bを登った。曇り空で涼しく、乾燥しているせいもあって、まったく汗をかかなかった。午後から、SOLO MOS 6c+, ALCEO 6cに取り付くが、こちらはまったく歯がたたず。最近、トップロープでしか練習していなかったので、ここ一番のふんぎりがつかなかった。情けないが、まだカリムノスでのクライミングは始まったばかり。焦ることはない。
 シャワーを浴びて、外に出ると夕陽がエーゲ海に沈んでいく。地元の人もクライマーもみんな庭やスタジオのベランダに出て、この美しい夕陽を眺めている。一日で最も至極のときである。

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Mustass 5c 22mStyx 6a+ 25mTelendos島に沈む夕陽


9月24日(日) 遠雷
 未明に、窓の外で閃光があった。そして、ゴロゴロと雷鳴が轟く。この雷鳴に余韻があるのだ。10秒くらいは続くだろうか。一時して、ざーっと雨が降った。乾燥して、天気が安定しているように見えて、崩れるときは一気だった。紀元前1200年前のトロイ戦争で、ギリシャ側は勝利した後、帰国する途中で嵐に会い、多くの船が難破してしまう。エーゲ海の静と動を見る思いがした。
 昨日、武中さんと相談して、今日をレスト日にしていたので、ちょうどよかったかなと思う。雨が上がって、ビデオカメラを片手に外に出る。街は街路樹ばかりでなく、建物も道端にある石コロまで、白いペンキで塗られている。だから、ハイビスカスとブーゲンビリヤの花がいっそう引き立っているように見える。
 島全体は乾燥していることもあって、森や林が少ない。多くは膝ほどの低木樹である。ところが、この低木樹の葉は刺状になっていて、触ると痛いのだ。だから、低木樹の間をどこでも歩けるように見えて、実際はそうはいかない。青いペンキやケルンの道標を頼りに山道を歩くしかない。
 マスーリ近辺の景色を撮って、何となく今日の一日を終えた。

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スタジオへ下る小道宿泊したスタジオの入り口宿泊した部屋


9月25日(月) GRANDE GROTTA視察
 雨が上がった後の素晴らしい快晴だ。今日はGRANDE GROTTAに行くことにする。ここはカリムノスの看板エリアだ。ものすごく大きな洞窟ににょきにょきとコルネがぶら下がっている。海岸付近から見ても大きいのだが、実際にそばまで来るとその大きさに圧倒されてしまう。武中さんがKALY PIGE 6c+に取り付く。終了点まで達して降りてくるとロープが2メートルほど足りない。60メートルのロープのはずだが・・・。つまり、空中に宙ぶらりんなのだ。ああだこうだとやっていると、地元のクライマーが助けてくれた。武中さんを近くの安全な岩場まで引っ張って誘導してくれたのだ。
 このようになった要因のひとつは、私達がトポを持っていないので、そのルートの正確な情報を入手していないことにある。実はカリムノスのトポは改版の刷り下ろし中、かつ、旧版は売り切れで手に入らないのだ。
 だから仕方なく、私達はルートを見て、これなら登れそうだと思ったところを登っているのだ。本当のルートファインディングなのである。
 地元のクライマーの登っているルートは私達のルートよりもさらにかぶって距離が長い。70メートル、或いはそれ以上の長いロープを使っているのだと思う。本当に豪快そのものだ。

 午後2時を回ると、このエリアに陽が差し込んでくる。暑くて登れないので、早々に降りてきた。
 このような暑い日は泳げるに違いないと思い、近くの入り江に下りていった。イタリア人だろうか、風呂に入るように海につかりながら、気持ちよくカンツォーネを歌っている。邪魔しちゃ悪いかなと思いながら、手を振って挨拶をして海に入った。海水温はそんなに冷たくない。20メートルほど沖に泳ぐと、小さな魚がいっぱいに群れている。水も澄んでいて美しい。自分が泳いだ後を魚がついてくる。何か遊ばれている感じ。貸し切りのエーゲ海の入り江を泳げるなんて、なんと幸せなことか。
 そして、シャワーを浴びた後、地元のワインを楽しみながら、エーゲ海に落ちる夕陽を眺めていた。

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Grande Grotta全景Kaly-pige 6c+ 35mの下降Monahiki Elia 6a+ 25m完登後


9月26日(火) ODESSAYとギリシャ語
 絹雲が空を覆っている。今日はODESSAYエリアに行く。ここは易しいルートから難ルートまでいろいろとある。また、北向きで陽が当たらないので涼しく、人気のエリアでもある。ここに着くと、多くの乳児連れのドイツ人たちで溢れていた。
 一通りエリアを観察した後、オンサイトできそうなどっかぶりのルートを発見。FOUSKA 7a。早速、取り付く。3本目のクリップをして、ちょっと悪い右手のピンチホールドを掴みながら、体を振って遠くの左ホールドを取りにいく。鷹取のマッシュで出てくるムーブだ。5本目のクリップをかけ、終了点に近づく。ひょっとしたらオンサイトできるかもと思ったが、そこからが核心だった。右手アンダーで体を上げて、左ホールドを取りにいき、そして、終了点へ・・・。手足の長いこちらのクライマーなら、終了点にクリップできるかもしれないが、私には届かなかった。あーあ。
 その後、ホメロスのオデッセイに登場するオデッセイの貞淑な妻PENELOPEとその可愛い息子TELEMACOSの名前を取ったルートがあったので、クールダウンにそれを登った。

 下りてきて、美味しいギロを買いにいく。「エナ ギロ パラカロ」(ギロをひとつお願いします)、「ボーソ カーニ」(いくらですか)、「ベンテ オグドンダ」(EUR5.80)、「エフハリスト」(ありがとう)。たったこれだけの会話でも地元の人たちの笑顔がいい。もっと勉強しなくちゃ。

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Eyriklea 5b 16mFouska 7a 12mPenelope 6a 18m


9月27日(水) 貸し切りのビーチ
 未明から強い風が吹いた。今日はレスト日なので、カリムノス島の北部にある小さな村EMPORIOにバスで行くことにした。しかし、バス便といっても、朝9時過ぎに出て、夕方4時ごろに戻ってくる2便しかない。まったく便利とはほど遠い場所なのだ。
 バスは蒼い海を左手に見ながら、沿岸を走る。EMPORIOでバスを降りると、レストランが4軒ほどある以外は何もない。水の透き通ったビーチがあるだけだ。シーズンを過ぎたこの時期に観光客もほとんど来ない。まったくもってひどいところと言いたいところだが、考えようによっては最も素晴らしい場所となる。
 恋人たちは小さな入り江ごとにビーチを貸し切っているに等しい。コバルトブルーのビーチに二人だけなのだ。あるペアはヌードを楽しんでいる。こういう楽しみ方は自分にはできないと思うけれど・・・。あくせくと働く東洋人に、地球上にはまだこういうところもあるのだと知らせたいような気もする。

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島のあちらこちらにいるヤギ貸し切りのビーチ深い紺色のエーゲ海


9月28日(木) APHRODITEをレッドポイント、そして、食事
 朝、少し遠いエリアに行こうと相談していると、いきなり大粒の雨。南風が強く、天気は不安定なので、近場のエリアに行くことにする。AFTERNOONエリアでウォーミングアップをした後、GRANDE GROTTAエリアへ。いよいよ看板ルートへの挑戦だ!
 APHRODITE 7a+。APHRODITEとは美の女神。このルートを触らずに、日本へ帰ることなどできない。昨年、武中さんはこのルートをオンサイトしたという。すごい。ボルト5本の短いルートであるが、核心はひとつ。かぶっているところで、左指の第一関節までしか入らないアンダーホールドを耐え、遠いこぶし状のホールドを右手で掴む。小さいスタンスに立って、左手で小さなコルネを取り、右手をフレークのガバに飛ばす。一撃目ではムーブがわからず四苦八苦。二撃目でレッドポイントした。さすがに嬉しかった。これで日本に帰れるぜ。

 下りてきて、今日の夕食スブラキを買いに出かける。マスーリの街には、たくさんのレストランがあるが、値段の割りには今ひとつという。よって、マスーリに一軒しかないスブラキとギロの店に毎日通うことになった。スブラキとギロを1日おきに買い、持ち帰って部屋のベランダから夕陽を眺めながら食べるのだ。
 スブラキとは串焼きのことだ。ポークとチキンがある。炭火で焼いているので美味しい。ギロとは、逆三角形の肉の塊をぐるぐる回しながら焼いているもので、これを包丁で削ぎ落として食べる。ピタ(インド料理のナンのようなもの)で包んだギロ・ピタはこれまた美味しい。このギロはもともとトルコ料理のようだ。
 ギリシャでは、テーブルと椅子を外に出して、外で食べるのが習慣だ。私達は、朝は庭に出したテーブルで食べ、夕方はベランダのテーブルで食べている。つまり、そこにはいつも太陽の陽が輝いているのだ。

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Blu 6a 20mBlu 6a 20mAphrodite 7a+ 10m


9月29日(金) SINPLIGADESエリアと映像屋の仕事
 風が収まり、天気が安定してきた。今日は少し遠いSINPLIGADESエリアへ行く。このエリアへ行く途中、家を建てている老夫婦にお会いした。飛び散ったセメントの粒を顔中に付けたご主人はにこやかに英語で話かけてきた。
 「日本から来たのですか。私は昔、八幡、広島、神戸へ行ったことがあります。カリムノスを楽しんでくださいね。」
 その柔和な笑みに、優しさが溢れ出ていた。少しの会話だけれど本当に心が温まった。自分もこのように老いることができれば幸せだけど、まだ足元にも及ばないなぁとつくづく感じた。

 SINPLIGADESエリアは標高300メートルほどあり、ロケーションはよい。この一帯は、日本ならすぐさま別荘分譲地として切り売りされてしまうだろう。
 到着後少し休んで、SCORPIOS 6a, HOMMO SAPIENS 6cを登った。
 この間、私は最も良いカメラポジションを探していた。プロの映像屋としていつも思っていることだが、一目見たら虜になってしまうような映像を撮りたいのだ。
 カリムノスに来て初めてそのチャンスに出会えた。天気は最高。太陽は燦々と岩を照らし、空気は澄んでいて、海のコバルトブルーは深い。クライマーと自然が一体となったような映像が撮れる。武中さんにお願いして、CLIMBERS NEST 6aを登って頂いた。そして、撮影は完了した。
 果たして、この映像は皆さんの心に残るだろうか。

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Skorpios 6a 20mHommo Sapiens 6c 20mClimbers' Nest 6a 28m


9月30日(土) 港町
 これまで吹いていた南風が北西風に変わった。少し肌寒いぐらいの朝である。
 今日はレスト日であるので、港町まで出ることにする。バスに乗って20分程度で、港町に着く。
 人の多いのにびっくり。魚屋さん、肉屋さん、果物屋さん、スーパーマーケットなどモノの多さにも目を白黒させてしまった。あれもこれも買いたくなるのだ。イカ、海老、豚肉ロースの固まり、各種野菜に特産のメロン、そして、地元ワインを買って帰ってきた。これまで続いたスブラキとギロの後遺症が出たようだ。
 早速、武中さんの奥さんが料理をする。鮮度が高いので、その美味しさにうなる。
 そうそう、武中さんの奥さんは、釣り糸と釣り針まで買ってきた。明日から海で魚を釣るそうだ。いやー、豪快。さて、どうなることやら。

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果物屋さん肉屋さんに入る肉の塊り


10月1日(日) ILIADAエリアと新しいトポ
 昨日、スーパーマーケットに入ろうとしている私に、面と向かったおじさんがいきなり話しかけてきた。機関銃のように話すので、最初何を言ってるのかわからなかった。自分が何か悪いことをしたのではないかと恐縮してしまったが、よく聞いてみると、カリムノスの新しいクライミングガイドブックが明日発売される、と親切に教えてくれていたのであった。
 今日、早速、新しいガイドブック、つまり、トポを買ってきた。写真入り説明で豪華版だ。EUR35もする。このトポを日本人で最初に入手したのが私なのだ、エヘン。(最近、こんなことぐらいしか、自慢ネタがない。トホホ)
 このトポを見ると、エリアは43、ルート数は850もある。今回、私たちが登ったエリアはたったの5つ。途方もなくたくさんのエリアとルートがある。かつ、未開拓のエリアが無数にあるので、これからもエリアやルート数は増えていくだろう。
 今日も含めて、私たちに残されたカリムノスでの滞在日数は後3日。無駄には使いたくない。
 今日はILIADAエリアに行くことにした。ILIADAとはイーリアスのこと。TROIA 6a+, PRIAMOS 6b+に取り付く。PRIAMOSを登っているとき、トロイの勇者であり、最愛の息子であるヘクトールの亡骸を返してもらうために一人、ギリシャ陣営に入っていくプリアモス王の背中を見る想いがした。
 そして、最後に、DOLONAS 7cに取り付いた。7bも登れないのに、7cなんて無謀なのだが、このルートはなんせ絵になる。良い映像を撮るためには何でもやるのだ!
 北西風がますます強くなってきた。風の通り道であるこのエリアに長居は無用とそうそうと降りてきた。

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Troia 6a+ 35mPriamos 6b+ 31mDolonas 7c 15m


10月2日(月) 空中散策と収穫
 武中さんと私はGRANDE GROTTAへ、そして、武中さんの奥さんは釣りへ出かけた。
 GRANDE GROTTAへ到着すると、DNA 7a+に取り付きたかったが、あいにく混んでいたので、ELEFANTEN-HIMMEL 7aに取り付く。このルートの長さは30メートルだが、最後の15メートルは洞窟の天井から突き出した大きなコルネをぬって登っていくようなルートだ。空中を散策しているような感じ。このルートも最後の終了点へのクリップが核心。ほとんどのクライマーがここでテンションをかけていた。

 本日のクライミングを終えて下りていくと、向こうから、武中さんの奥さんが手を振って近づいてきた。魚を5匹釣ってきたのだ。隣の島のTELENDOS島まで行き、桟橋で太公望のようになって釣ったという。まったく脱帽である。
 早速、地元の人に食べれるかどうかを聞くと食べれるというので、バター焼きにして食っちゃった。鮎のような味だった。
 カリムノス島の滞在はいよいよ明日でおしまい。あっという間に時間が過ぎ去っていってしまう。
「キージート(!?)」。スブラギのお兄さんが教えてくれたギリシャ語だ(あなたのことは忘れない)。明日1日も後悔しないような日にしたい。

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釣り師5匹の収穫すかさず乾杯!


10月3日(火) カリムノス最後のクライミング
 カリムノス最後のクライミングの日は、カリムノス島の全体を見るためにアルパイン形式のマルチピッチを計画したのだが、あいにく武中さんの足の調子が良くないと言うので計画変更。近場のPOETSに行くことにした。DRYADS 6b, QUANDRO TRAMONTA IL SOL 6aを登った後、IBRIA 6b+に取り付く。3本目のボルトまで達したところで、隣のルートのビレーをしているお兄さんが、忠告してくれた。すぐ右にあるポケットのホールドは蜂の巣だと言うのだ。すぐにクライムダウンをして、難を避けた。最後はANACRONTE 5c/6aを登って終了。

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ミニマートのお姉さんスブラギのお兄さんカリムノスの夕陽


 今回のカリムノスでのクライミングは難グレードのルートを登ることに照準をおいたのではなく(登りたくても登れないが・・・)、易しくて美しいルートを登ることを心がけていた。
 自然とクライマーが一体となったような美しいルートを登る。ギリシャの歴史に思いを馳せ、美しいコバルトブルーの海を泳ぎ、現地の美味しい食事やお酒を楽しむ。
 難グレード至上主義で嫌気が差しかけていたフリークライミングだが、ギリシャの歴史や文化を織り交ぜることでフリークライミングを久々に楽しんだ。
 これからも歴史や文化を大切にしたフリークライミングの旅を続けていきたいと思う。


ーーーーーー これ以降はアテネ滞在記です。 ーーーーーー

10月4日(水) コス島
 名残惜しいカリムノス島を去り、船でコス島に着いた。ビーチに無数のパラソルが開き、日焼けを楽しんでいる観光客がいる。ここで明日のアテネ行き飛行機便に乗るため、一泊することにする。夕暮れ時にビーチへ出ると、水平線に太陽が沈んでいく。自分の影がながーーーく伸びている。今日もまた、一人で美しいサンセットを見ていた。


10月5日(木) アテネの雑踏
 この旅に出て、今日が一番疲れた。宿の値段は、コス島はカリムノス島の2倍。アテネはコス島の2倍。それでもアテネの中では安い方ではないかと思うが・・・。

 昼にコス島の飛行場に着いた。イギリス人団体客が何組もたむろしており、大混雑。私たちが乗るアテネ行きの便は14時10分発。しかし、その時刻が来てもボーディングしてないし、遅延のアナウンスすらない。ゲートに係員もいないので尋ねようもない。そして、この飛行場に設置されているどの時計も同じ時刻を指しているものはない。1時間遅れているものもあるのだ。そうこうしているうち、14時20分頃、飛行機が到着した。
 アテネからのシャトル便だったのだ。ようやく、予定より30分遅れて離陸した。

 アテネに着いて高速バスに乗ったが、降りるところを間違えてしまった。仕方なくタクシーを止めて行き先を告げると、手を振って行ってしまった。行き先が近すぎるのだろうか? つまり、乗車拒否なのである。
 おもむろに地図を広げ、近くにいる人に「ここはどこですか」と尋ねた。目的地までの行き方は、15分ほど歩いて地下鉄に乗り、そしてまた乗り換えるという。重い荷物を持って地下鉄に乗ると、ちょうど帰宅の通勤時間帯。混み合う電車でひんしゅくをかいながらも目的の駅に着いた。
 ところが、地下鉄の駅の出口に標識がない。どこの出口へ行ってよいやら、また、どの出口を上がったのかさっぱりわからない。ぐるぐると歩き回ってホテルへ着いたときはくたくただった。
 都会の雑踏はイヤだなあ。静かなところに帰りたいよ。泣きが入りました。シクシク


10月6日(金) 国立考古学博物館
 今、泊まっているホテルはオモニア広場の近く。一晩中騒音が絶えない。通りは、中東人、東欧人、黒人などがたむろしており、結構ヤバい雰囲気。ホテルの主要客も東欧人だ。今日まで宿泊して、明日から別のシンタグマ広場周辺のホテルに変える。こちらの方がはるかに安全そうだ。
 しかしながら、ホテルの料金はEUR80と高い(といってもアテネで一番安いホテルだが・・・)。カリムノスのスタジオがEUR18だったので、そのイメージが消えないのだ。これまで減らなかったお金がどんどん消えていく。砂漠に水をまいている感じ。外国人が初めて東京に来たら、こんな感じなんだろうな、と十分同情できる。

 さて、今日は国立考古学博物館へ行った。いきなり、シュリーマンが発掘したアガメムノーン王のゴールドマスクが展示されていた。展示物の主体は紀元前15~10世紀頃のもの。まさにトロイ戦争をやった頃だ。文化の高さに驚かされる。現在あるものの原型はすべてそこにあるのではないかという感じ。
 明日はいよいよパルテノン神殿のあるアクロポリスに行く予定だ。


10月7日(土) アクロポリス
 3日目にして、ようやく都会に慣れてきた。ホテルも変わって、一安心。
 シンタグマ広場から歩いてアクロポリスに登る。壮絶な観光客だ。人、人、人。その中にパルテノン神殿は凛として建っている。紀元前5世紀に、この神殿が建てられたとき、当時のアテネ市民は誇りの絶頂だったに違いない。そして、現在のアテネ市民はこの神殿の観光収入によって潤っている。昔の人は未来の遺産として素晴らしいものを残したのだ。
 何かコメントがひねくれてきたが、これも都会に慣れてきたせいだろう。


10月8日(日) サラミス島
 サラミス島へ行くことにした。紀元前480年、ペルシャ戦争でアテネの艦隊がペルシャ軍を打ち破ったところだ。
 まず、港町ペラマまでバスで行く。バスはアテネへ入るときに失敗したので慎重にチェック。「地球の歩き方」情報はすでに古く、バスの路線名も始発場所も料金も変わっている。
 30分ほどバスで揺られながらペラマへ着く。すぐに待っていたサラミス島行きの船に乗った。そして、20分でサラミス島に着いた。That's all.

 そこには何の史跡も名所も残っていない。アテネのベッドタウンとしての現実があるだけだ。でも、確かにこの狭い海峡でサラミス海戦は行われた。ペルシャの大軍団を壇ノ浦のような狭い海峡に誘いこんで大勝利をおさめたのだ。
 サラミス島では1時間も滞在せずに帰ってきて今日の観光はおしまい。


10月9日(月) ミケーネ遺跡
 今日はEUR80のOne day tripに参加した。ミケーネ遺跡などを巡る。ミケーネ遺跡は紀元前15世紀頃のもの。トロイ戦争でギリシャ側の総帥を勤めたアガメムノーンの居城である。ヨーロッパの文化発祥の地と言っても過言ではない。遠くにエーゲ海が見え、麓にアルゴス平野が広がる。この小高い丘の上からヨーロッパが始まったのだ。

 最初は小さな始まりでも波紋のように大きく広がっていく。自分が今始めていることもまた、大きな波紋となるのであろうか。私自身があきらめない限り、ゼウスは決して見放さないと思う。頑張るぞ。

以上

投稿者 sue_originalcv : 13:29 | コメント (3) | トラックバック

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